親子の会話

2007年2月9日
ウム〜風邪か?ノドが痛い。のどが涙でないている。
この10数年医療機関の存在を知らない。
病気ひとつしたことのない故、病の前兆か?

実は・・・・
聖職に就きし息子との喧騒でのダメージからきてるのだ。
あのやさしき奴のどこに暴力的体質が宿っていたのか。
その素因を持たせたのは何故か。

この齢での罵声、怒号は芯に堪える。
崩れ落ちる人間性とも相俟って急速に老け込んでしまったのがわかる。
ひたすら社会改革の実践に九州はおろか全国を飛び回ってたツケか。
親子の疎外感を醸成させ作り出していたのであろう。
情けなき大人をこの社会に送り出してしまった。

授業中、同僚の先生方に先ほどのように、瞬間「きれる」ことがなければいいが・・
二重人格者の心根の汚さのその仮面はいつかは剥げる。
かわいそうなことをしてしまった。
この性格を作らせてしまったことをである。

ミュジシャン「ゆい」をサウンドアップして時間借りで書いている。

素直がとりえ、笑顔を絶やさず、大過なくすごすのが聖職者の道。
子一人まっとうな口利きもできない不遇者を作り出した不作。
60年の不作のブログを先日読ませていただいた記憶がよみがえる。

山口ゆえ語感が地口オチ風の山口組に通じているのかといかないまでも
チンピラ張りの罵詈雑言が連続で繰り出してくるのには恐れ入った。
ことの発端は情けなき生活費の月末までの借用のお話。
1000円の金さえ出せないとのこと。

先生=教師にあるまじき言葉に
「先生を辞めろ。」
「おお!明日やめちゃるワイ!」
「こりゃァどこんおっとか!」
口の利き方を隣の人が笑ってるぞー
「そいつをだせ!」
馬鹿につける薬は無い。

いやァ恥の上塗り。
おやの顔が観てみたい。

魂たる職業を馬鹿にしきり、それも「先生」と呼ばれる社会的職を射止めたのに何たる二重人格。
衣の下に鎧がチョロチョロ下品に見えている。

もう心の病気に罹患している哀れなる若き教師。

聖人不治己病治末病
名医は病になる前に治す。
健康と病気を視座に入れると偏った食生活にあるとは百姓の出ゆえわかる。
先天性か持ち込んだのか健全なる親に対する言葉を過ぎている。
やくざになってもこの程度では所詮ちんぴら、親分にはなれない。

それが教壇に立ってては日本の将来は無い。

赤の他人様は深夜わざわざ米を蒸かしての深夜弁当の無料差し入れ。
久しぶりの米粒に胃袋は驚いて痛みさえ知らせる
法人移行の生み苦しみゆえひたすら耐える。
これ以上に無い環境を背負っての日々。

太陽光発電のしょっぱなからのやり直し。
職人と営業の組み換えでの技を見直したい。

たといそれが人を作る教育と言えど匠みの業があろう。
何の仕事であろうと精魂込めた匠の仕事には他に代え難い価値がある。

、「一輪咲いても花は花」
誰一人知らぬ間に一輪しか咲かなくても、そこには凛とした気高さがある。
人知れぬ苦労をものともせず、他人を気遣う心があったのだろう。

息子との会話に生きる希望もなくし、一挙に年老いうんざりしていたから
他人さまたる方の、差し入れ弁当の一途さに打たれる。

 いまさら、「プロ根性」と説いても詮無い
親子の関係は人間関係の基本。
朝青龍と親方との確執どこではない親子の会話がどこにあろう。

新聞に植林の事業がある。
中原中也が山口に生まれて100年のことが消えた穴埋め

岐阜県南東部の裏木曾にある加子母(かしも)。
島崎藤村の生地がある旧長野県山口村などとともに平成17年に中津川市に編入合併されている。
まが太陽光発電の三菱パネル工場のあるところ。
総面積の94%を山林が占め、
「木曾路はすべて山の中である」という表現そのままの山村。
 「神宮美林」と呼ばれる国有林の木曾ヒノキは、伊勢神宮の式年遷宮の御用材となり、戦災で焼失した名古屋城本丸御殿の
復元にも使われる。ほとんどの住民が、小規模ながらも山もちだ。
植林した針葉樹のヒノキの間に、クリなどの広葉樹の若木が生い茂る。
下刈りや間伐などの手入れを怠っているわけではない。
同じ高さのヒノキだけが整然と並ぶ単一林は一見美しいが、実は風雨に弱い。
根を横に張り巡らせる広葉樹は土壌の浸食を防ぎ、落ちた葉は生き物の恵みとなる。 
その皮や新芽を、シカやカモシカが食べ、ヒノキの食害が減る。
こうしたさまざまな種類、高さの木が混じり合った「複層混交林」への取り組みが、地区ぐるみで進んでいるという。 
代々庄屋を務めた旧家の20代目は市役所職員の内木哲朗(48)。
最近自宅の蔵から見つかった
数万点におよぶ「山守文書」にも、今につながる森づくりの工夫が記されていた。
目先の利益につながる仕事ではない。
「今切っているのは曾祖父、祖父が植えてくれた木。
われわれの仕事の評価は、孫子の代がしてくれる」。
 50年、100年先を見越して取り組むべき仕事
聖職者足らん教育の匠の技はもっと奥が深い。
非通知の上に親子の会話さえできぬ不適格者に勤まるはずがない。
相撲道のわからぬ横綱同様、即刻教職から退くがいい。

どこかの暴力団がちょうどいい言葉にあっている。
ただ、所詮チンピラ程度
親子がわからずして幹部になれるはずがない。
匠のわざはどこににもある。
ここはとりわけ親子には秩序がある日本である。
大リーガー城島が宮崎の王監督に挨拶に来た
つめの垢でも煎じて飲ましたい。
親の心子知らず
モンスター先生の人生に幸多からんと祈る。

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