仁、徳

2007年1月31日
法人化で再出発の混沌としてる時期。
大家さんと江戸におられる新オーナーと意思の不疎通。
トバッチリはもろにせきやんに来ているが、ここぞ男だ我慢のとき。
生みの苦しみはオーナーさえわからず私にしか理解できない孤独なるもの。

心配していただき師匠が尋ねいただいた。
経済産業省のエネルギー目標が問題ありとして新聞に載った建前を振りかざしての心遣いが武士の情けで有難い。
今年初めて顔をあわせる。
守り抜いてきた事務所でなくジョイフルが悲しい。

「いい枝ぶりの木はありまして・・」
「人間ゆえのまだ積み残し処理が済んでなくそれを済ましてから探しましょう。」

そのまんまが、トップになり意見交換は熾烈を極めた。
立候補すること自体がどうなんであろう帝王学を修めていればなされないこと、その強心臓
恥や武士道はそのまんまにはない。
県民のモラルは乱れよう。
ゆがんだ社会機構のマスコミが支配しているゆえの時代が作り出した寵児に過ぎない。
社会的欠陥たる裏権力者の世界のマスコミ
その出ゆえみやざきの効果は全国に伝わり限られたとこでは貢献していよう。
ところが長期で見れば底浅き県民性として嘲笑を浴びてることであろう。

日本国家の基本は武士道と恥で要約できる。
そのことから分かれて隅々まで生き方論が暗に常識化される。
春夏秋冬の生活全般に心を大事にする生き方論が伝統として誰いうことなく伝わる。

父母、年長者をを敬う
弱きを助け、正直者がバカを見ない形に修める。
聾唖者とか不遇者をそれとなく支援する。
当然出産というハンディーを背負った弱者たる女性をいたわる
人の上に立つすべてを我被を見比べ自重する形で衆目認める人を立てる。

誰から教わったわけでもない、そのような、かたち品格が挙げられる。日本文化に伝わる道である。
茶道、いけばな挙句は香道などともいう。
国技たる相撲には歴史に支えられた美学、道がある。
勝負をかけて土俵に上がるが日本人の心たる勝ち負けでない相撲道である
亀田ファミリーや朝青龍がいまいちの不人気は、それらの美学をわきまえてない事にある。
嫌われ、さらには八百長相撲疑惑で協会の審査を受けるなど横綱の権威から言語道断。

協会も協会である。
それをやっちゃぁいけない。事情聴衆。

師匠に何度となく暴力を振るったり、
ご祝儀の不文律の6対4とかの、とり前を巡り弟子と師匠の内紛の醜聞は事欠かない。
不浄の手たる左手で手刀を切ったり、礼に事欠く土俵態度。気に入らない勝った後のにらみ
横綱なのあり方を曲げられては民族は持たない。髷をきり、即刻帰国させたらいい。

左翼ほど改革者ほど心のそこは民族主義者で美学を求める。
涙もろいのは琴線に触れさせられたゆえの時のみ。

トップ交代にはいくばくかの寂しさと情けなさが残る。
そこを見透かしての師匠の発言は暖かい
城を失い生きる気力もない。

封建制の為政者の権力維持誇示は威容を誇る築城の要・天守閣からの景望で膝まずかせた
秀吉は九州のかっての覇者・大友宗麟を大阪城の金ピカの間で謁見し、さらに天守で語り、絶景から驚嘆させた。

クリスチャン作家・遠藤周作のクリスチャン大名三部作の「覇王」だったかこの天守からの会談で作品を書き始めている。

小田原・北条を滅ぼし九州に20万以上兵を率いての島津攻略に当たっての事前の対策。
大友家というかって九州を制覇していた鎌倉室町から続く権威ある家柄をも峻駕させ屈服させた。
    
なにも戦火を交え勝つことがトップの条件ではない。
外交力で屈服させるのも力量である、
戦いは国を疲弊させ住む人の生活を脅かす。
農民の出の秀吉の軍略に見え隠れする外交力を生かした政治は平和な時期こそ必要である。
安部政権も見習うべきだ。
いつの世も為政者が矜持しなければならない普遍の原理の帝王学である、

権力の象徴たるものは世界遺産であちこちに見れるご時世。
とりわけ西欧の石材を使った建築石造遺跡群は圧巻である。
地政学上富の集中が支配下規模の範囲において日本の比ではなかったからだ。

歴史にもしは禁句だがこの建物は見てみたかった。
木造建築文化の最たるものに安土城を超えるものはないと思われる。
再建できないのはそれが原因であろうや。

何年か前の西欧パリだったと思うがここの日本展で天守と内部の一部の安土城が復元された
蒼瓦、朱の甍が陽に輝く
分厚い石垣に守られ、黒い漆塗りの窓を持ち堅牢なる白壁
そこに威容を誇る後にも先にもない豪華な安土城があった。

遺跡から金箔のかわらなどが出土している。
パリで初めて再建された安土城は日本の民族文化の世界に冠たるものを示した。
国部又右衛門の業になる。
わざと技術の粋を集めたもの。
そのすべては家康の数々の建築物で花開いた、

ところで少子化の進む中での将来の仕事の子供のアンケートに大工さんは入っていない。
職人技は育成時間が多くについやされるが、大丈夫であろうか
住宅産業研修財団の松田妙子理事長は大工育成塾を立ち上げた。
礼儀作法からと困難なことに挑んでいる。
育つ人の木造文化の担い手の萌芽にかけている。

六本木ヒルズに負けじと3万平米の東大生産技術研究所跡に国立新美術館が1月21日オープンした。
主納品もない箱モノ行政の天下り施設。石原都政の驕り綻び専横ではないのか。
近くに森ビル美術館。サントリー美術館があるのにである、
公共美術館も隣接している。

江東区には現代美術館。
白金台の庭園美術館。
恵比寿の写真美術館
78万平米は2400坪
三井は1800億で落札してるので、このところの相場はつぼ800万

国土の半分が国有地
知床半島などの世界遺産を含まれてのことであるが
一説の評価では40兆円になる

ブログからの紹介で昭和の名工が偲べる。
長尾三朗・著『古寺再興 -- 現代の名工・西岡常一棟梁』講談社文庫
棟梁として法隆寺の修復を行い更に薬師寺の西塔、金堂などの建設をし
ていく西岡常一についてのドキュメンタリーである。

宮大工は寺社の堂塔伽藍の建築を専門に行う大工である。
神や仏に仕える身であり民家を建てることは身が穢れるとして決してしない。
宮大工は一打三礼という。
一釘打つ度に三度拝礼する気持ちでいなければならない。

そして、千年持つという建物を建てるためには、使う木の生育状況を見て適材適所に使わなければならない。
宮大工は木を買うのではなく山を買え、と言われる。

日の当たっている場所に立つ木、当たらない場所に立つ木など場所によって様々
な木があるためである。これを切った後の木ではなく山ごと買うことによってその木の特性を見極めるのだ。また、一本
の木に付いても日向側と日陰側によって用途が違ってくる。木というものを知り抜いていなければまともな仕事はできない。
また、宮大工の棟梁は、大工仕事だけをしていればいいわけではない。
いろいろな個性を持つ大工を統括していかなければならない。
こうした宮大工の仕事は幼いころから身を持って教えられていく厳しい祖父に幼いころから建設現場に連れて
いかれた。文様を写し取らされる。
書き直して見せては、また書き直すという日が続き、ようやく「それで良し」と言われる。
そして、また別の課題が与えられ、それをこなす。今の教育のように理屈を覚えさせる
のではなく、体で覚えさせる。何が問題なのかも一切教えることもなくそれも自分で考えさせる。
人は体で覚えない限り何も身に付かないものだということを昔の人は良く知っていた。
今の教育はただひたすら「受け身」の人間ばかりを大量生産している。
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