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暑さ寒さも彼岸まで、輪廻転生の人生。先祖への畏敬と生活全般への祈り、区切り。
「彼岸」は農耕民族の日本人にとって、季節を感じるための最も身近なキーワード。
この時期、心の救いの伝道者たる僧は「彼岸」の教えを説きにまわった。
西の彼方(かなた)に浄土があり、そこに悟りや救いを求める教えをである。
その時期はいつも、太陽が真西に沈む「春分の日」「秋分の日」のころに決まっていた
人々は、僧たちを「彼岸」と呼び、春秋のこの時期になると「そろそろ彼岸がくるぞ」と言うようになった
「年中行事を「科学」する」永田久著お彼岸の起源に関する一説を新聞が紹介していた。
夏目漱石の明治45年『彼岸過迄』(ひがんすぎまで)という小説を、新聞で連載した
、連載開始になってもタイトルが決まらず「彼岸過ぎまでは書くよ」と苦し紛れにつけたといわれる。
あの漱石の中でも「彼岸」が暦の区切り点として強く意識されていた。
彼岸を挟んで日本の舵取り役代わる。
本人の安倍同様に中川には女性問題があり、どうにも宇野内閣みたいににならねばよいが、
小泉政治5年半であちこと、ギクシャク。
清濁併せ呑む度量で老壮青バランスのみでは反発をかおう。
清濁がキーポイント6のようである。
ところで清濁についてである。
仮名に清濁の区別がなかった昔は思わぬ行き違いもあったらしい。新聞からこの時期のお話。
芋(いも)を贈られ、礼状を書いた。
「けつかう(結構)なるいも(芋)」をありがとう
手紙を読んで芋の贈り主が怒った。
「けつが唸(うな)る芋」とは何だ、と。
澄むと濁るで大違い、これも日本語がもつ面白さに違いない
三代目三遊亭金馬は落語・居酒屋でのん兵衛の生態を通して会話を芸術に昇華した。
澄むと濁るの大違いの会話が演じられている。
「世の中は澄むと濁るで大違い 福に徳あり ふぐに毒あり」
「世の中は澄むと濁るで大違い はけに毛があり 禿に毛がなし」
「濁点の反逆]松本喜三郎著三本松出版ではこぼれ話がある。
朝鮮語゛は清音と濁音あるか、日本語のような濁点にあたる記号はない。
これはもともと朝鮮語ては言葉の頭ににくる場合は清音て、途中の場合は濁音と決まっているから。
著書で韓国からの留学生とオリンピックの話になった時のこと。゛゛゛
「金メタルときんメタルのちかい。韓国人の発音ては、とうしても両方きんメタルになるのてある」゛゛
結局コールトメタルとシルハーメタルということて区別で決着。
この話は、きょうきときょうきときょうきときょうきとつきない。
濁点はどう考えてるのか。??
きっと自分がいるせいで、ご主人様は救われないのだ。濁点は悩む。
近刊の絵本「ぜつぼうの濁点」原田宗典著教育画劇刊
ご主人様「ぜつぼう」のもとから旅立った濁点の物語である
あちこちで邪魔者扱いされ、引き取り手のないまま、孤立無援の濁点は沼に捨てられた。
そこで新しいご主人様にめぐり合う。
沼のブクブク、「きほう」(気泡)だった…
顧みれば、小泉政権の経済運営もこの絵本と同じように、恐慌寸前の「絶望」から濁点を取り
、バブル(気泡)後の「希望」に付け替える作業であった。
積年の苦労がわずかな失敗でぶち壊しになることを「百日の説法、屁(へ)一つ」という。
人事にまつわる事ほど澄むに縁なく濁りの域で、くさい話はなく、
たちこもる、線香の清々しさはない。
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「彼岸」は農耕民族の日本人にとって、季節を感じるための最も身近なキーワード。
この時期、心の救いの伝道者たる僧は「彼岸」の教えを説きにまわった。
西の彼方(かなた)に浄土があり、そこに悟りや救いを求める教えをである。
その時期はいつも、太陽が真西に沈む「春分の日」「秋分の日」のころに決まっていた
人々は、僧たちを「彼岸」と呼び、春秋のこの時期になると「そろそろ彼岸がくるぞ」と言うようになった
「年中行事を「科学」する」永田久著お彼岸の起源に関する一説を新聞が紹介していた。
夏目漱石の明治45年『彼岸過迄』(ひがんすぎまで)という小説を、新聞で連載した
、連載開始になってもタイトルが決まらず「彼岸過ぎまでは書くよ」と苦し紛れにつけたといわれる。
あの漱石の中でも「彼岸」が暦の区切り点として強く意識されていた。
彼岸を挟んで日本の舵取り役代わる。
本人の安倍同様に中川には女性問題があり、どうにも宇野内閣みたいににならねばよいが、
小泉政治5年半であちこと、ギクシャク。
清濁併せ呑む度量で老壮青バランスのみでは反発をかおう。
清濁がキーポイント6のようである。
ところで清濁についてである。
仮名に清濁の区別がなかった昔は思わぬ行き違いもあったらしい。新聞からこの時期のお話。
芋(いも)を贈られ、礼状を書いた。
「けつかう(結構)なるいも(芋)」をありがとう
手紙を読んで芋の贈り主が怒った。
「けつが唸(うな)る芋」とは何だ、と。
澄むと濁るで大違い、これも日本語がもつ面白さに違いない
三代目三遊亭金馬は落語・居酒屋でのん兵衛の生態を通して会話を芸術に昇華した。
澄むと濁るの大違いの会話が演じられている。
「世の中は澄むと濁るで大違い 福に徳あり ふぐに毒あり」
「世の中は澄むと濁るで大違い はけに毛があり 禿に毛がなし」
「濁点の反逆]松本喜三郎著三本松出版ではこぼれ話がある。
朝鮮語゛は清音と濁音あるか、日本語のような濁点にあたる記号はない。
これはもともと朝鮮語ては言葉の頭ににくる場合は清音て、途中の場合は濁音と決まっているから。
著書で韓国からの留学生とオリンピックの話になった時のこと。゛゛゛
「金メタルときんメタルのちかい。韓国人の発音ては、とうしても両方きんメタルになるのてある」゛゛
結局コールトメタルとシルハーメタルということて区別で決着。
この話は、きょうきときょうきときょうきときょうきとつきない。
濁点はどう考えてるのか。??
きっと自分がいるせいで、ご主人様は救われないのだ。濁点は悩む。
近刊の絵本「ぜつぼうの濁点」原田宗典著教育画劇刊
ご主人様「ぜつぼう」のもとから旅立った濁点の物語である
あちこちで邪魔者扱いされ、引き取り手のないまま、孤立無援の濁点は沼に捨てられた。
そこで新しいご主人様にめぐり合う。
沼のブクブク、「きほう」(気泡)だった…
顧みれば、小泉政権の経済運営もこの絵本と同じように、恐慌寸前の「絶望」から濁点を取り
、バブル(気泡)後の「希望」に付け替える作業であった。
積年の苦労がわずかな失敗でぶち壊しになることを「百日の説法、屁(へ)一つ」という。
人事にまつわる事ほど澄むに縁なく濁りの域で、くさい話はなく、
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コメント
毎度勉強させてもらっております。
外国語生活を続けていて、日本語の清濁音という概念は面白いなぁと思っていたところです。
つくづく日本語は美しいなと思います。
かくいう自分は美しい日本語を忘れがちですが・・・。