数ある歴史観のなかでトインビーの語ってきた歴史観が現実味を増している。、
物質文明たる西洋物質文明は今、末期的症状を呈し始めている。
「近代西洋文明は驚くべき勢いで全世界を席巻してきたが、その低次元の物質的信仰のゆえに、また驚くべき速さで凋落してゆくであろう」
北やインド、イラン、アフガン?等の核戦争の恐怖と地球温暖化等、自然破壊によってもたらされた地球の危機を前に、有効な選択肢も見いだせず、ただ途方に暮れている。
NHKラジオ深夜便朝4時kら5時、27日、28日の二日間。
岸根卓郎・京都大学教授は、この世界に共通する難問を解決し、来るべき21世紀を切り開いていく新しい思想とは、文明とは、どのようなものだろうか? と問い教えてくれた。
 文明興亡の法則を研究した結果
「現在世界を支配する資本主義もマルクス主義も、所詮は『形』のある『物質』を中心とした西洋人の『有形的唯物文明』の所産にすぎない。
これに対し、来るべき未来東洋文明は『形』のない『精神』を中心とした『無形的精神文明』へと進化するものとおもわれる」

現代は完全に物質主義に支配されている。

 一つは物質主義的平等を主張している管理的物質主義、すなわち共産主義。
 もう一つは、「もうけたい人はもうけましょう」という放任的物質主義である自由主義。

 つまり、東西の対決、あるいは左と右との対決などと言われてきたものの、実際には同じことである。
ただ、それが放任主義的であるか、管理主義的であるかの違いである。

 このように物質主義が地上を汚染するようになったのは、ルネサンスあたりからである。
 例えば、ヨーロッパ的な流れを見るならば、教皇と王が存在して、その力関係が逆転してきたあたりから変化が始まった。その劇的な変化は、当時ヨーロッパに猛威をふるったペストによって引き起こされた。
それ以降、人々は一気に資本主義的な思考に移り変わっている。
そして、このペストは、現在全世界に影響力を持つ「彼ら」が仕掛けたものであった。
そのペスト大流行以降、「彼ら」は人間の物質的欲望を巧みに利用し、莫大な利益を上げてきたのである。

 そして現在マスコミは、「物質主義的思考=人を幸福にする」という宣伝を24時間かけて行なっている。
雑誌とか新聞、テレビ、あるいは漫画などを見ることによって、そのイメージが根づく。
そして現象として追体験して、納得し、満足する。
一方、宗教的なことは、テレビでは否定的に扱う。
ただひたすら、金に関すること、物に関することを流し続ける。

 このような情報を流し続けているのが「彼ら」である。
「彼ら」の情報操作により、日本人は物質的思考を植えつけられるだけでない。
例えばテレビなどで、電話のシーンを多く見せつけられることによって、直接会話ができる機会はあるのに、
わざわざ電話でしか話さない傾向が強まる。
このように「彼ら」は、わたしたちを支配しやすくするために、わたしたちを集団として一つの力になることを抑え、分離・統治する。これが、日本の現状である。

 ところが、日本において、そのような統治をした場合、個々が分離状態にあるから、内的には統治しやすいのだが、外的に攻められた場合、大変もろい。
これこそが、「彼ら」の支配下にある日本政府の目指すところである。
つまり、日本人を無知化し、個々を分離することで統治しやすく弱体化した上で、「彼ら」に日本を献上しようというのである。

 マスメディアを中心とした無知化のプロセスは、日本のみならず世界的に行なわれてきた。その洗脳が終わり、反社会的な者が少なくなり、統治しやすい状況が完成した。「彼ら」が今まで演出してきた、強大な敵を設定することで自国民を統治しやすくするという東西冷戦という構図は、ここへ来てもはや必要がなくなった。
ソ連が崩壊したのは、西側世界の敵役という役目を終えたからである。
そして西側世界も、アメリカを中心にその行く手には翳りが見えている。

 「彼ら」、つまり、この世の中をコントロールしているグループは、相当知性が高い。
しかも700年、800年と時間をかけて。

 その「彼ら」の目的は、粛清である。自分と関係のあるもの、一部だけを生き残らせ、もっともっと統治しやすい地球をつくっていきたいと考え、そのために計算されて動いている。

 では、その「彼ら」とは何者なのか。
「彼ら」の行なう粛清とは、いかなるものなのか。
 わたしたちはどうなるのか。

みなさ〜〜〜〜〜あぁん!
    「プチッ!」
 (^-^)お頼み申します。!(^-^)

   ↓ ↓ ↓ ↓
http://blog.with2.net/link.php?62076
   ↑ ↑ ↑
 ワン・クリック!

コメント

淵瀬春秋
淵瀬春秋
2006年8月31日13:30

「200万都市が有機野菜で自給できるわけ」(吉田太郎・築地書館)でキューバの農業に関する紹介がなされていますが、その中で、「(物事は)チェ・ゲバラ的な道徳的なものへと思想をシフトして行くこと」の重要性が記されています。外界から閉ざされたキューバと、外界に出る事しか手のない日本とは比べようがないですが、代わりに日本はASEANからの要請や近所付き合いがあります。この辺で「道徳」の持つ意味を為政者は考えて欲しいですね。ただここで歪んだ視点から書かれた「武士道」を持ち出すのはよろしくないでしょう。

せきやん
せきやん
2006年8月31日20:03

ゲバラはあの帽子と軍服のまんま現職大臣として来日してますよね。
医者としての科学者としての視点から工業国を目指した、カストロとのソリがあわなくなり、
ボリビア?の戦線の地にキューバの再来を求め散っていったのでしたよね。
苦難の末、キューバを樹立したのに、とわの夢おい人。
温暖な気候での農業自立国・キューバの知識はまったくありません。
ご教示いただきまた勉強になりました。
誤解でしょうが武士道の精神を取捨選択するのは大事な世界に誇れる、尊敬される道徳者として、生きていけることでしょう。
三島の美学ではありません。
人間としての根本のことであります。

せきやん
せきやん
2006年8月31日21:36

神がかりといいますよね。神通力とも。
うどんさんがローカル・ダメチーム
(笑い・・シツレイ!こりゃまた」シツレイシマシタの植木等)
を応援されだしてから奇跡の8連勝なんでしょう。
東京が田舎フクオカに勝つんは日本字の当たり前。
アジア開催はナインに巨額な利権狙いがありあり。
トリニータ連勝は一服の清涼感。
実に不思議な感じです。
ガンバレ!トリニータ三木キャプテン!
多忙のようですね。
お体を大切に。

淵瀬春秋
淵瀬春秋
2006年9月2日8:24

せきやんさんの仰有る通り、「武士道」に学ぶべき事は多いと私も思っております。ただ、私は少なくとも2点ほど注意すべき点があるのではないかと思ってもおります。
まず一点目はこれまで不文律として無形の存在を文書と言う定型のものに起こす時点で発生するであろう表現と意味のズレ。そして二点目が書かれた時点での時代背景です。江戸時代を葬る事で成り立つようにした明治期以降、新渡戸稲造氏が果たして明治以降の思想から完全に独立して明治以前を表現しきれているか、そこに時間・思想の基礎の断層がないとは言い切れないのではないか、ということです。
韓国の研究所との共同研究によって、道徳と礼節の重要さを改めて感じましたが、その局面において「武士道」は良いテキストであることも確であると痛感しました。

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索