舞台かわり
2006年6月16日明日からアパデン宮崎もいよいよ安定した形となりえよう。
しっかりとした、社会的組織に再編するメドが立つことになろう。。
トップをおしいただき、資金的裏付けのある形にするためにしかるべき方を招聘するのである。
ところで何かうまくいきだすと事が生じる。
好事魔多しで、ブログも終えんとなるやも知れない。
そのときはご了解をいただきたい。
長い間のご愛読に対して、感謝にたえません。
喜び悲しみをつづることで、爺も何とか励まされて此処までくることができました。
死しても初志貫くべし!で過ごしてき宝絶大なる協力者の出現である。
また、儀をみて,せざるは、勇うなきなりもあわせて信条としてきたからでもある。。
武士道たるいざ!鎌倉へ!の矜持である。
さらにお隣の国の言葉で言うとこうなるのか。
燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや。
「燕雀(えんじゃく)安(いずく)んぞ鴻鵠(こうこく)の志を知らんや」
拝見したブログからの言葉である。
燕や雀に、オオトリや白鳥の思いは分からない。
大人物の志は小人物には分からないというたとえ。
始皇帝が築いた「秦」を亡ぼすきっかけとなる反乱を起こした陳渉の言葉
として知られている。
陳渉は若いころ、人に雇われて農作業をしていたが、あるとき、仕事仲間
に向かって言った。
「たとえ富貴の身になっても、おたがい忘れないようにしよう」
仲間は笑って相手にしなかった。そのとき、陳渉がため息まじりに言った
のが、「燕雀(えんじゃく)安(いずく)んぞ鴻鵠(こうこく)の志を知らんや」という言葉だった。
紀元前209年7月、陳渉は北方の守備のため秦に徴兵されたが、途中で
大雨にあい、期日までに到着できなくなってしまった。
秦の法では期日に間に合わなければ死刑となる。
同じ死ぬならと、陳渉は呉広(ごこう)という人物ともに反乱を計画した。
一緒に徴兵されていた民衆には、
「王候将相、安んぞ種あらんや」
(王や貴族、将軍、大臣となるのに、血筋など関係ない)
と呼びかけ、仲間に引き入れたという。
反乱は約半年で秦に鎮圧されたが、陳渉は「張楚」を建国して王となった。
大言壮語しただけのことはやってのけたのである。
明日お会いして全てを申し述べ、形を持ったる代表者におしいただく所存。
16日で国会審議とも縁切れたトップ小泉総理とは華やかさが違う。
首相としての国会出席は400回以上にのぼり、これまでさまざまな名言、珍言、問題発言を残してきた。
小泉流の国会対応は、「不誠実」「まやかし」「はぐらかし」との厳しい批判。
河野洋平衆院議長から「答弁にはきちんと対応するように望む」と異例の注意も受けている。
政治のワイドショー化」が指摘されて久しいが、その根源は首相の言葉の軽さにあったとも言えるだろう。
ブログの終焉もそうであればよいのだが、志は通づるや否や分からない。
天命である。
山より大きなイノシシは出ないゆえの心境である。
訪れていただいた皆様!
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また、儀をみて,せざるは、勇うなきなりもあわせて信条としてきたからでもある。。
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「燕雀(えんじゃく)安(いずく)んぞ鴻鵠(こうこく)の志を知らんや」
拝見したブログからの言葉である。
燕や雀に、オオトリや白鳥の思いは分からない。
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始皇帝が築いた「秦」を亡ぼすきっかけとなる反乱を起こした陳渉の言葉
として知られている。
陳渉は若いころ、人に雇われて農作業をしていたが、あるとき、仕事仲間
に向かって言った。
「たとえ富貴の身になっても、おたがい忘れないようにしよう」
仲間は笑って相手にしなかった。そのとき、陳渉がため息まじりに言った
のが、「燕雀(えんじゃく)安(いずく)んぞ鴻鵠(こうこく)の志を知らんや」という言葉だった。
紀元前209年7月、陳渉は北方の守備のため秦に徴兵されたが、途中で
大雨にあい、期日までに到着できなくなってしまった。
秦の法では期日に間に合わなければ死刑となる。
同じ死ぬならと、陳渉は呉広(ごこう)という人物ともに反乱を計画した。
一緒に徴兵されていた民衆には、
「王候将相、安んぞ種あらんや」
(王や貴族、将軍、大臣となるのに、血筋など関係ない)
と呼びかけ、仲間に引き入れたという。
反乱は約半年で秦に鎮圧されたが、陳渉は「張楚」を建国して王となった。
大言壮語しただけのことはやってのけたのである。
明日お会いして全てを申し述べ、形を持ったる代表者におしいただく所存。
16日で国会審議とも縁切れたトップ小泉総理とは華やかさが違う。
首相としての国会出席は400回以上にのぼり、これまでさまざまな名言、珍言、問題発言を残してきた。
小泉流の国会対応は、「不誠実」「まやかし」「はぐらかし」との厳しい批判。
河野洋平衆院議長から「答弁にはきちんと対応するように望む」と異例の注意も受けている。
政治のワイドショー化」が指摘されて久しいが、その根源は首相の言葉の軽さにあったとも言えるだろう。
ブログの終焉もそうであればよいのだが、志は通づるや否や分からない。
天命である。
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