19日から23日江戸にいた。
谷中の墓地や上野鈴本・新宿末広で江戸に浸り、蔵前の江戸博物館で江戸城展を見た。
根岸で笹の雪の豆腐を味わい、浅草神谷バーで下戸がデンキブランをあおった。
昭和の爆笑王・林家三平師匠の三平堂での違和感。
隣の正岡子規記念館をみてのコースからかすぐにきずかなかった。
二階に行き階段にサトハチローの写真がない。
展示室に高座が設えてあったが、改築改造と思っていた。
おかしい?そういえばお住まいのお屋敷がビルに変わり手狭どこの沙汰ではない。
すべて転売されている。
大宅邸の中で独立建築物の三平堂は取り壊され三階建てのコンクリートの建物の中に設えられてるだけ。
道理で。
その視点でテレビ番組を見ると江戸の復活を感じる。
浅草「ふくまる旅館」と神楽坂「拝啓父上様」のドラマが始まった。
時代から取り残されたようなる古い旅館。
旦那たる西田敏行の口癖は「お客様は家族です」
どんなひとでもお客さんとあらば笑顔で答える。
「そこまでお人よしで大丈夫?」の予測どおり、が的中。
最後は涙とともに丸く収まるパターンの人情もの。
老舗の料亭を舞台にしたのが「拝啓父上様」
脚本は倉本聡
富良野から江戸に舞台設定を移した。
隣接地に高層マンション建設をもってきた
二宮和也は高島礼子の母親黒木メイサの謎の美少女と物語を進展さす。
二宮の追想する話しかけるのは父親。
TBS開局55年記念「華麗なる一族」は別に興したい。
なぜって?鈴木京香は特別である。
えぇッ!日向で鳥インフル?深夜に知る。
ワン・クリック御願いいたします
↓ ↓ ↓ ↓
http://blog.with2.net/link.php?62076
↑ ↑ ↑
谷中の墓地や上野鈴本・新宿末広で江戸に浸り、蔵前の江戸博物館で江戸城展を見た。
根岸で笹の雪の豆腐を味わい、浅草神谷バーで下戸がデンキブランをあおった。
昭和の爆笑王・林家三平師匠の三平堂での違和感。
隣の正岡子規記念館をみてのコースからかすぐにきずかなかった。
二階に行き階段にサトハチローの写真がない。
展示室に高座が設えてあったが、改築改造と思っていた。
おかしい?そういえばお住まいのお屋敷がビルに変わり手狭どこの沙汰ではない。
すべて転売されている。
大宅邸の中で独立建築物の三平堂は取り壊され三階建てのコンクリートの建物の中に設えられてるだけ。
道理で。
その視点でテレビ番組を見ると江戸の復活を感じる。
浅草「ふくまる旅館」と神楽坂「拝啓父上様」のドラマが始まった。
時代から取り残されたようなる古い旅館。
旦那たる西田敏行の口癖は「お客様は家族です」
どんなひとでもお客さんとあらば笑顔で答える。
「そこまでお人よしで大丈夫?」の予測どおり、が的中。
最後は涙とともに丸く収まるパターンの人情もの。
老舗の料亭を舞台にしたのが「拝啓父上様」
脚本は倉本聡
富良野から江戸に舞台設定を移した。
隣接地に高層マンション建設をもってきた
二宮和也は高島礼子の母親黒木メイサの謎の美少女と物語を進展さす。
二宮の追想する話しかけるのは父親。
TBS開局55年記念「華麗なる一族」は別に興したい。
なぜって?鈴木京香は特別である。
えぇッ!日向で鳥インフル?深夜に知る。
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再掲 水事情
2007年1月22日お会いした方との約束ゆえの2005年4月1日の再掲
そのまんま知事の企業局会計の黒字、水事情がわかってないことからくる、県内ダムの民活をやらねばならぬことの答えである。
水は生命の基本。
チャランポランなタレント知事には社会のシステムを考える思慮はないようである。
国富町の病院二件の営業のみではどうにも将来がおぼつかない。
エイプル・フルーならよいのであるが。
国富町の大坪の一本桜は八代小中学校の西の茶畑に塚を形成して高さは15メートル、幹周り3.17メートル樹齢150年と言われ、大地の精霊を飲み込み大きくそびゆる。
その根元の石碑「庚申塔」は330年前の寛文13年(1673年)に建てられたと記す。
この地は綾川総合開発の灌漑事業が昭和35年〜45年県内の魁となった。
それでも森林59パーセント耕地19パーセントと自然の富には恵まれられぬ地域ゆえの国富の何に託されてるのやも知れぬ。
灌漑農業の穀物のヘクタール当たり収量は、2000〜4000キログラム。氾濫原耕作では800キログラム。
世界の食糧の約40%は全耕地の17%を占める灌漑地で生産されている。
インド、中国、米国、パキスタンの4カ所で世界中の灌漑地の半分以上を占め、生産量上位10カ国で世界の灌漑地の3分2を占めている。
灌漑農業や工業用水等での利用により、半世紀で水使用は3倍。
西アジア地域では、アムダリア川、シルダリア川の水を灌漑に利用され、アラル海は面積が約1/3、塩分濃度が上昇して魚が住めない海と言う。
アメリカ中西部にあるオガララ帯水層は日本の7〜8倍もある巨大な地下湖。
、年間75,000tの水が揚水され30年間で水位が平均2m低下し、一部では30mも低下している。
地下水の汲み上げは地盤沈下等の問題を惹起している。
地下水の過剰汲み上げをやめれば、世界の穀物生産は1億6千万トン減少し、60億の人類のうち4億8千万人の食料が不足する。
中国、エジプト、インド、インドネシア、パキスタンなど多くの国々は食糧生産の半分以上を灌漑地に依存している。
今や水は土地以上に希少化している状況が顕著化している。
「点滴灌漑」で水使用量を30〜70%減少させ、作物単収を20〜90%増加させる技術での農業全体の確立は急務である。
昨年8,18の日記を再掲する。
我が県の年降水量は2,400mmを超え、多雨だが、梅雨期や台風期に集中するため季節的な偏りが大きく、干ばつも発生する。
安定的な畑地営農のためには、水源の確保が不可欠であるのを昨日都城で感じた。
我が県には32,500haの畑地が広がっている
そのほとんどが火山灰土壌の特殊土壌地帯のうえに、多くの畑作地帯は安定した水源を持たず安定的な畑作経営が困難な状況にあル事をも都城でよく理解できる。
畑地かんがい施設が整備された地区では、農業用水の安定供給により、施設野菜や花、茶などの水を活用
した収益性の高い作物への転換が進み、全国有数の優良農業地帯となっていた。
大規模畑作の産地づくりや施設園芸、新品目の導入が進み、我が県の食料供給基地としての地位をさらに高めるため、県央から県西部に広がる広大な畑地帯たる一ッ瀬大地では、畑地かんがい施設がすすんだ。
雨水に頼った農業から脱して農業用水が確保されている。
また、日照りによる干害、霜による被害を防止でき、安定した農作物の栽培により収益性の高い農業が可能となっいている。
天神ダムは伊東領たる田野地区の畑地を潤し、また水源確保のためのダム である。
我が国で使用される年間水量約900億立方メートルのうち、農業用水が約3分の2を占めている。
農業用水の約95%が稲作などに用いられる「かんがい用水」である。
日向の人々は、水田稲作が盛んとなっていった弥生時代から、農業用水を確保しようと今日に至る
約2000年にわたり、その開発と保全に尽 してきた。
一ッ瀬川からの農業用水を確保した児玉久ヱ門は西都市の偉人である。
内藤藩には藤江監物・図書父子の御用金横領の汚名をかぶり農業用水を完成させた。
鋳物時代の改革は生活そのものの見直しである。
生活の改善は電気が欠かすことのできないエネルギー資源である。
我が県では、山間部の割合が高く、豊富な降水量を生かして、
水力発電所が数多く建設されており、九州地方の電力供給の重要な一翼を担っている。
ダムが建設されると、ダム近郊に発電所が装備され、発電がなされる。そのためダムの個数と発電所の個数はほぼ同数である。
管理種別 発電所数
宮 崎 県 ・・・・・・・・9
市町村(第3セクターを含む) 3
九州電力(株)・・・・・・ 27
その他の事業所・・・・・・ 6
合 計・・・・・・・・・45
食料をつくるのに必要な水の量。
米1kg 水3600l 大豆1kg 2500l
小麦1kg 2000l トウモロコシ1kg 1900l
牛肉1kg 20700l 豚肉1kg 5900l
鶏肉1kg 4500l
石油上昇が続いている。
需要が増えているのにつけ、サウジ、等の政治不安である。
イラクをはじめとするブッシュの作り出したる失政であろう。
5〜10パーセントは危険要因による上乗せ分、リスク・プレミアムと見られる。
世界経済が高いツケを払わされている。
電力10社合計の7月の販売電力量は、前年同月比12・5%増の
775億3600万キロワット時だった。
昨年の冷夏の反動と今年夏の記録的猛暑の影響とみられるが、その割には過去最高だった2002年8月の833億7300万キロワット
時に及ばず、背景に省エネ意識の高まりなどがありそうだ。
夏の日中の電力需要は、エアコン用が3割前後を占めるといわれ、1日の瞬間的なピークに当たる最大電力は気温の変化に左右される。
都内で気温39・5度となった7月20日、東京電力は最大電力の更新が確実とみていたが、結果は過去最高を大きく下回った。
原因として省エネ意識の高まりに加え、今年の夏は高気温でも湿度が比較的低く、エアコンの使用割合があまり高くならない点を指摘する声がある。・・フムフム。確かに。
新聞は世相を映す鏡・・思わずウンウンと頷いている。
肝心のCO2の問題までは発展していないマスコミの限界。
その点、環境から見つめる記事もある。
水田10アールあたり1日に6.1トンの水が蒸発し気化熱として
361万7300キロカロリーの熱量が奪われる。
冷房能力に換算すると6〜9畳エアコンの80台に相当する。
草創期の太陽光発電の会社の一コマ。
神よりのプレゼントたる自然エネルギーを上手く生かした生活。
現代生活を支えてる主エネルギーは子や孫の世代には枯渇してる状況が生まれかなない。
石油
1兆160億バレル可能採掘年数43年
石炭
石炭9842億トン可能採掘年数212年
天然ガス
14兆7849億m3可能採掘年数62年
日本の海外依存度
石油99.7パーセント
石炭
97.7パーセント
天然ガス
96.6パーセント
原子力・・ウラン
100パ^セント
なにも地球温暖化のCO2削減とか省エネとかゴミ、綺麗な水とかだけでなく、地球に存在する総ての生態系問題も絡めた地球ネットワークで考えるしか解決の道はない。
http://blog.with2.net/link.php/34016
そのまんま知事の企業局会計の黒字、水事情がわかってないことからくる、県内ダムの民活をやらねばならぬことの答えである。
水は生命の基本。
チャランポランなタレント知事には社会のシステムを考える思慮はないようである。
国富町の病院二件の営業のみではどうにも将来がおぼつかない。
エイプル・フルーならよいのであるが。
国富町の大坪の一本桜は八代小中学校の西の茶畑に塚を形成して高さは15メートル、幹周り3.17メートル樹齢150年と言われ、大地の精霊を飲み込み大きくそびゆる。
その根元の石碑「庚申塔」は330年前の寛文13年(1673年)に建てられたと記す。
この地は綾川総合開発の灌漑事業が昭和35年〜45年県内の魁となった。
それでも森林59パーセント耕地19パーセントと自然の富には恵まれられぬ地域ゆえの国富の何に託されてるのやも知れぬ。
灌漑農業の穀物のヘクタール当たり収量は、2000〜4000キログラム。氾濫原耕作では800キログラム。
世界の食糧の約40%は全耕地の17%を占める灌漑地で生産されている。
インド、中国、米国、パキスタンの4カ所で世界中の灌漑地の半分以上を占め、生産量上位10カ国で世界の灌漑地の3分2を占めている。
灌漑農業や工業用水等での利用により、半世紀で水使用は3倍。
西アジア地域では、アムダリア川、シルダリア川の水を灌漑に利用され、アラル海は面積が約1/3、塩分濃度が上昇して魚が住めない海と言う。
アメリカ中西部にあるオガララ帯水層は日本の7〜8倍もある巨大な地下湖。
、年間75,000tの水が揚水され30年間で水位が平均2m低下し、一部では30mも低下している。
地下水の汲み上げは地盤沈下等の問題を惹起している。
地下水の過剰汲み上げをやめれば、世界の穀物生産は1億6千万トン減少し、60億の人類のうち4億8千万人の食料が不足する。
中国、エジプト、インド、インドネシア、パキスタンなど多くの国々は食糧生産の半分以上を灌漑地に依存している。
今や水は土地以上に希少化している状況が顕著化している。
「点滴灌漑」で水使用量を30〜70%減少させ、作物単収を20〜90%増加させる技術での農業全体の確立は急務である。
昨年8,18の日記を再掲する。
我が県の年降水量は2,400mmを超え、多雨だが、梅雨期や台風期に集中するため季節的な偏りが大きく、干ばつも発生する。
安定的な畑地営農のためには、水源の確保が不可欠であるのを昨日都城で感じた。
我が県には32,500haの畑地が広がっている
そのほとんどが火山灰土壌の特殊土壌地帯のうえに、多くの畑作地帯は安定した水源を持たず安定的な畑作経営が困難な状況にあル事をも都城でよく理解できる。
畑地かんがい施設が整備された地区では、農業用水の安定供給により、施設野菜や花、茶などの水を活用
した収益性の高い作物への転換が進み、全国有数の優良農業地帯となっていた。
大規模畑作の産地づくりや施設園芸、新品目の導入が進み、我が県の食料供給基地としての地位をさらに高めるため、県央から県西部に広がる広大な畑地帯たる一ッ瀬大地では、畑地かんがい施設がすすんだ。
雨水に頼った農業から脱して農業用水が確保されている。
また、日照りによる干害、霜による被害を防止でき、安定した農作物の栽培により収益性の高い農業が可能となっいている。
天神ダムは伊東領たる田野地区の畑地を潤し、また水源確保のためのダム である。
我が国で使用される年間水量約900億立方メートルのうち、農業用水が約3分の2を占めている。
農業用水の約95%が稲作などに用いられる「かんがい用水」である。
日向の人々は、水田稲作が盛んとなっていった弥生時代から、農業用水を確保しようと今日に至る
約2000年にわたり、その開発と保全に尽 してきた。
一ッ瀬川からの農業用水を確保した児玉久ヱ門は西都市の偉人である。
内藤藩には藤江監物・図書父子の御用金横領の汚名をかぶり農業用水を完成させた。
鋳物時代の改革は生活そのものの見直しである。
生活の改善は電気が欠かすことのできないエネルギー資源である。
我が県では、山間部の割合が高く、豊富な降水量を生かして、
水力発電所が数多く建設されており、九州地方の電力供給の重要な一翼を担っている。
ダムが建設されると、ダム近郊に発電所が装備され、発電がなされる。そのためダムの個数と発電所の個数はほぼ同数である。
管理種別 発電所数
宮 崎 県 ・・・・・・・・9
市町村(第3セクターを含む) 3
九州電力(株)・・・・・・ 27
その他の事業所・・・・・・ 6
合 計・・・・・・・・・45
食料をつくるのに必要な水の量。
米1kg 水3600l 大豆1kg 2500l
小麦1kg 2000l トウモロコシ1kg 1900l
牛肉1kg 20700l 豚肉1kg 5900l
鶏肉1kg 4500l
石油上昇が続いている。
需要が増えているのにつけ、サウジ、等の政治不安である。
イラクをはじめとするブッシュの作り出したる失政であろう。
5〜10パーセントは危険要因による上乗せ分、リスク・プレミアムと見られる。
世界経済が高いツケを払わされている。
電力10社合計の7月の販売電力量は、前年同月比12・5%増の
775億3600万キロワット時だった。
昨年の冷夏の反動と今年夏の記録的猛暑の影響とみられるが、その割には過去最高だった2002年8月の833億7300万キロワット
時に及ばず、背景に省エネ意識の高まりなどがありそうだ。
夏の日中の電力需要は、エアコン用が3割前後を占めるといわれ、1日の瞬間的なピークに当たる最大電力は気温の変化に左右される。
都内で気温39・5度となった7月20日、東京電力は最大電力の更新が確実とみていたが、結果は過去最高を大きく下回った。
原因として省エネ意識の高まりに加え、今年の夏は高気温でも湿度が比較的低く、エアコンの使用割合があまり高くならない点を指摘する声がある。・・フムフム。確かに。
新聞は世相を映す鏡・・思わずウンウンと頷いている。
肝心のCO2の問題までは発展していないマスコミの限界。
その点、環境から見つめる記事もある。
水田10アールあたり1日に6.1トンの水が蒸発し気化熱として
361万7300キロカロリーの熱量が奪われる。
冷房能力に換算すると6〜9畳エアコンの80台に相当する。
草創期の太陽光発電の会社の一コマ。
神よりのプレゼントたる自然エネルギーを上手く生かした生活。
現代生活を支えてる主エネルギーは子や孫の世代には枯渇してる状況が生まれかなない。
石油
1兆160億バレル可能採掘年数43年
石炭
石炭9842億トン可能採掘年数212年
天然ガス
14兆7849億m3可能採掘年数62年
日本の海外依存度
石油99.7パーセント
石炭
97.7パーセント
天然ガス
96.6パーセント
原子力・・ウラン
100パ^セント
なにも地球温暖化のCO2削減とか省エネとかゴミ、綺麗な水とかだけでなく、地球に存在する総ての生態系問題も絡めた地球ネットワークで考えるしか解決の道はない。
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そのまんま効果
2007年1月21日「倒幕!」
「おいどんにマカセテたもんせ!」
140年も前に江戸・京都・大阪に憂国の士の意味不明の言葉の薩摩弁が恐怖を伴い世間を席巻した。
殺傷のみを美学とする田舎剣法・必殺・示現流を伴ってである。
何の因果かここんとこ不思議と江戸にいるせきやんだが、国元・宮崎からの倒幕の知らせに恐れおののいている。
保守王国・宮崎にまさに青天の霹靂!
その余波だけで永田町を震撼させている。
中川自民党幹事長はどう出るのであろうか。
自民公明は通産課長持永哲志(46)を担ぎ、
造反・中山なりあきら国会議員は川村秀三郎(57)林野庁長官を推したが共に敗れた。
党則違反で処分できるのであろうか。
その行方によっては7月の参議院選挙を大きく左右することになろう。
新進党は候補者も擁立できず、今国会しだいでは解散寸前の党内事情にある。
安部総理ののすすめる改憲国会の開催を前に改憲賛成の小沢民主党もそのような政治状況がつづく。
中央政界の迷走は宮崎の有権者の失望となり、既成政党の候補を退けたテレント候補の投票行動に走った。
12年前の東京大阪を髣髴させる青島・ノック現象がまたもや生じている。
それが日本一遅れた政治状況にある宮崎で生まれた時期だが、あのころになんと酷似してることか。
投票行動にも分析の余地がある。
78000票が期日前選挙で投票のあり方選挙戦さえ問われている。
さらに安部総理の候補者差し替えで自民党参議院会長の青木幹雄(72)との対立が激化の様相。
このようにそんまんま効果は激震が走ってるわけだ。
「歴史の変換店の目撃者に感動と感謝の気持ち
17日間が県民を揺るがした。
志の高さに敬服するが心底そうであろうか。
あまりにも余人にない前歴がある。
86年のフライディー事件
取材方法に異論を唱えたけし軍団11名が講談社を襲撃。傷害と暴力で現行犯逮捕。
イメクラ事件
98年10月。16歳の女の子の客になった。店主は逮捕・そのまんまは参考人として事情聴取された。
後輩暴行事件
99年11月後輩タレントを暴行して書類送検。
二度の離婚。
ただし二度目は政治家になるなら離婚をおしきってであり、そこは立派。
世の中は「ねたり、わるたり(泣いたり笑ったり)いろんなことがあるとです。
タレント時代、みやこんじょん(都城)言葉が通じなくて宮崎人であることがコンプレックスであった。
いまは堂々と宮崎弁でしゃべります。
芸名そのまんま東
本名は東国原英夫は1957年9月16日生まれ。
県立泉ヶ丘高校を卒業して、専修大学経済学部。
81年ビートたけしの弟子になる。
そのまんま東の芸名は「めんどうだからそのまんま東でいい」
とのエピソードをもつ。何が幸運をもたらすかわからない。
宮崎を駆け抜けた東の風は権力構造を変えるのか。
東風(こち)吹かば 匂い遺せよ梅の花.
主なしとて 春を忘るな
朝廷権力の頂点の右大臣にまで上り詰めていた
菅原道真(845年〜903年)は都を追われ福岡・大宰府に流される・
そこで『飛梅伝説』が生まれた。
道真が、901年 大宰権帥(だざいのごんのそち)に任ぜられ、京を発つ際、
邸宅(紅梅殿)に植えてあった梅に『東風吹かば・・・』と和歌を詠むと、梅は一夜で道真を慕って京から太宰府まで飛んできたという話。
福岡県にある菅原道真を祀る太宰府天満宮では、本殿の向かって右側に御神木『飛梅』がある。
和歌が詠まれた紅梅殿址は現在、「北菅大臣神社」があり、紅梅殿址の南、白梅殿址(こちらも菅原氏の邸宅址)には「菅大臣神社」がある。
「菅大臣神社」にも同じく『飛梅』と記された梅がある
京の都は道真の怨念、忌みで、荒れる。
祓い清め恐れおののく都人はあちこちに神社を創建して魂を沈めようと今に伝わる。
うめいちりん
いちりんほどの あたたかさ
なにはともあれそのまんまの大差での勝利
現実は受け入れなければならぬ厳しさ。
その国の政治的民意度を見るには
その国の政治家を見ればわかる・・はけだし名言。
マスコミ主導のみ安部政権
江戸から日向を見据える。
再チャレンジを地元で行くひとあり。
「倒幕」の密勅は下った。
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「おいどんにマカセテたもんせ!」
140年も前に江戸・京都・大阪に憂国の士の意味不明の言葉の薩摩弁が恐怖を伴い世間を席巻した。
殺傷のみを美学とする田舎剣法・必殺・示現流を伴ってである。
何の因果かここんとこ不思議と江戸にいるせきやんだが、国元・宮崎からの倒幕の知らせに恐れおののいている。
保守王国・宮崎にまさに青天の霹靂!
その余波だけで永田町を震撼させている。
中川自民党幹事長はどう出るのであろうか。
自民公明は通産課長持永哲志(46)を担ぎ、
造反・中山なりあきら国会議員は川村秀三郎(57)林野庁長官を推したが共に敗れた。
党則違反で処分できるのであろうか。
その行方によっては7月の参議院選挙を大きく左右することになろう。
新進党は候補者も擁立できず、今国会しだいでは解散寸前の党内事情にある。
安部総理ののすすめる改憲国会の開催を前に改憲賛成の小沢民主党もそのような政治状況がつづく。
中央政界の迷走は宮崎の有権者の失望となり、既成政党の候補を退けたテレント候補の投票行動に走った。
12年前の東京大阪を髣髴させる青島・ノック現象がまたもや生じている。
それが日本一遅れた政治状況にある宮崎で生まれた時期だが、あのころになんと酷似してることか。
投票行動にも分析の余地がある。
78000票が期日前選挙で投票のあり方選挙戦さえ問われている。
さらに安部総理の候補者差し替えで自民党参議院会長の青木幹雄(72)との対立が激化の様相。
このようにそんまんま効果は激震が走ってるわけだ。
「歴史の変換店の目撃者に感動と感謝の気持ち
17日間が県民を揺るがした。
志の高さに敬服するが心底そうであろうか。
あまりにも余人にない前歴がある。
86年のフライディー事件
取材方法に異論を唱えたけし軍団11名が講談社を襲撃。傷害と暴力で現行犯逮捕。
イメクラ事件
98年10月。16歳の女の子の客になった。店主は逮捕・そのまんまは参考人として事情聴取された。
後輩暴行事件
99年11月後輩タレントを暴行して書類送検。
二度の離婚。
ただし二度目は政治家になるなら離婚をおしきってであり、そこは立派。
世の中は「ねたり、わるたり(泣いたり笑ったり)いろんなことがあるとです。
タレント時代、みやこんじょん(都城)言葉が通じなくて宮崎人であることがコンプレックスであった。
いまは堂々と宮崎弁でしゃべります。
芸名そのまんま東
本名は東国原英夫は1957年9月16日生まれ。
県立泉ヶ丘高校を卒業して、専修大学経済学部。
81年ビートたけしの弟子になる。
そのまんま東の芸名は「めんどうだからそのまんま東でいい」
とのエピソードをもつ。何が幸運をもたらすかわからない。
宮崎を駆け抜けた東の風は権力構造を変えるのか。
東風(こち)吹かば 匂い遺せよ梅の花.
主なしとて 春を忘るな
朝廷権力の頂点の右大臣にまで上り詰めていた
菅原道真(845年〜903年)は都を追われ福岡・大宰府に流される・
そこで『飛梅伝説』が生まれた。
道真が、901年 大宰権帥(だざいのごんのそち)に任ぜられ、京を発つ際、
邸宅(紅梅殿)に植えてあった梅に『東風吹かば・・・』と和歌を詠むと、梅は一夜で道真を慕って京から太宰府まで飛んできたという話。
福岡県にある菅原道真を祀る太宰府天満宮では、本殿の向かって右側に御神木『飛梅』がある。
和歌が詠まれた紅梅殿址は現在、「北菅大臣神社」があり、紅梅殿址の南、白梅殿址(こちらも菅原氏の邸宅址)には「菅大臣神社」がある。
「菅大臣神社」にも同じく『飛梅』と記された梅がある
京の都は道真の怨念、忌みで、荒れる。
祓い清め恐れおののく都人はあちこちに神社を創建して魂を沈めようと今に伝わる。
うめいちりん
いちりんほどの あたたかさ
なにはともあれそのまんまの大差での勝利
現実は受け入れなければならぬ厳しさ。
その国の政治的民意度を見るには
その国の政治家を見ればわかる・・はけだし名言。
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江戸から日向を見据える。
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お江戸事情
2007年1月20日花のお江戸は雪になりきれぬ雪の雨の週末になる。
錦糸町のネット・カフェーにお世話になる。
ただ、3時間睡眠のせきやんに不思議がおき、一心不乱に寝入った。
これならカプセルか、ビジネスにすればよかった。
浅草桟橋近くのお昼の神谷バーのデンキブランがまっさか夜にアルコールが回ったやではなかろう。
20日(土)神谷バー二階の70席近いバーコーナーは満席。
よせばいいのにいっきにデンキブラン二杯いただく。
アルコール類を軽蔑するひとが一人で勇敢なる態度は周りがさせたものかノスタルジー。
浅草寺界隈も小雨なのに凄き人ごみ。
花やしき、六区街と傘なしのそぞろ歩きを楽しむ。
浅草にも人気が帰ってきたようだ。
人力車の若者やサンバ・カーニバル浅草公会堂を拠点にした努力が人を寄せることが復活しつつあるようだ。
新宿歌舞伎町まではいかないが活気が見える。
紫煙の厳しきお江戸は、中央区の戸外喫煙は注意のみ自粛だが、千代田区は罰金
23区全部でなく浅草を含む台東区はお咎めなし。
隣接区の違いで対応が違うではおのぼりさんは特に戸惑う。
魔女狩りてき様相を呈してないか気がかりだ。
さて地名のことであるが、
大田区は昭和22年、35あった区を整理統合して大森・蒲田区が合併してできた。
太田でなく太田はゆえにそのように書く。
今回の平成の大合併でも見られるが、おたがいからとる合成地名なんである。
中央線の国立は国分寺駅と立川駅の中間に新たな駅を設置したのでの妙名。
昭和島は昭和町と拝島村
清瀬は清戸村と柳瀬
官庁の乱立する紀尾井町。
紀伊・尾張・井伊家の三つの家から取った。
IT景気の成功者のヒルズ族の六本木
上杉・朽木・高木・青木・片桐・一柳と木を持った大名の殿様から六本木
「日本の地名雑学辞典」(実業出版社著者・浅井建爾)に詳しい。
1901年ビール工場ができた恵比寿
商品名が地名は世界的に珍しいそうだ。トヨタ?があるジャァないかと聞こえてくる。
吉祥寺は武蔵野市だが寺はない。
神田駿河台にあったが1657年明暦の大火で本郷駒込に移転した。
寺の近くの住民は武蔵野市に移住したが懐かしんでの命名。
明暦の大火で思い出したが、墨田蔵前の江戸東京博物館では江戸城展をやっている。
太田道灌の築城から550年を迎えた江戸城。
江戸城の天守閣は400年前1607年に完成。
1657年の明暦の大火で焼けて以来天守はたっていない。
往時の五層天守が復元された。
復元して観光地にすればいい。
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錦糸町のネット・カフェーにお世話になる。
ただ、3時間睡眠のせきやんに不思議がおき、一心不乱に寝入った。
これならカプセルか、ビジネスにすればよかった。
浅草桟橋近くのお昼の神谷バーのデンキブランがまっさか夜にアルコールが回ったやではなかろう。
20日(土)神谷バー二階の70席近いバーコーナーは満席。
よせばいいのにいっきにデンキブラン二杯いただく。
アルコール類を軽蔑するひとが一人で勇敢なる態度は周りがさせたものかノスタルジー。
浅草寺界隈も小雨なのに凄き人ごみ。
花やしき、六区街と傘なしのそぞろ歩きを楽しむ。
浅草にも人気が帰ってきたようだ。
人力車の若者やサンバ・カーニバル浅草公会堂を拠点にした努力が人を寄せることが復活しつつあるようだ。
新宿歌舞伎町まではいかないが活気が見える。
紫煙の厳しきお江戸は、中央区の戸外喫煙は注意のみ自粛だが、千代田区は罰金
23区全部でなく浅草を含む台東区はお咎めなし。
隣接区の違いで対応が違うではおのぼりさんは特に戸惑う。
魔女狩りてき様相を呈してないか気がかりだ。
さて地名のことであるが、
大田区は昭和22年、35あった区を整理統合して大森・蒲田区が合併してできた。
太田でなく太田はゆえにそのように書く。
今回の平成の大合併でも見られるが、おたがいからとる合成地名なんである。
中央線の国立は国分寺駅と立川駅の中間に新たな駅を設置したのでの妙名。
昭和島は昭和町と拝島村
清瀬は清戸村と柳瀬
官庁の乱立する紀尾井町。
紀伊・尾張・井伊家の三つの家から取った。
IT景気の成功者のヒルズ族の六本木
上杉・朽木・高木・青木・片桐・一柳と木を持った大名の殿様から六本木
「日本の地名雑学辞典」(実業出版社著者・浅井建爾)に詳しい。
1901年ビール工場ができた恵比寿
商品名が地名は世界的に珍しいそうだ。トヨタ?があるジャァないかと聞こえてくる。
吉祥寺は武蔵野市だが寺はない。
神田駿河台にあったが1657年明暦の大火で本郷駒込に移転した。
寺の近くの住民は武蔵野市に移住したが懐かしんでの命名。
明暦の大火で思い出したが、墨田蔵前の江戸東京博物館では江戸城展をやっている。
太田道灌の築城から550年を迎えた江戸城。
江戸城の天守閣は400年前1607年に完成。
1657年の明暦の大火で焼けて以来天守はたっていない。
往時の五層天守が復元された。
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継続は力なり。
2007年1月19日どうしてなんだろう。夕方、上野にいる。
八丁堀に急襲するが不在。
何とか依頼者に会え、一人になるとこの界隈がいい。
上野は東北地方の人が初めて触れる大都会・東京の玄関口。
カラオケでも上野駅の表示が旅愁を誘う仕組みの映像がムードを盛り上げる。
この地に立ってるおのぼりさんのせきやんなのである。
資金については何が起こるかわからず急遽、機上の人になった。。
ところがいやなニュースが飛び込んだ。
まったく偶然にも新聞が訃報を伝えている。
「あゝ上野駅」で大ヒットの井沢八郎(本名工藤金一)が17日午後11時18分、食道がんのため、東京都内の病院で死去した。69歳。青森県出身。集団就職者をテーマにした「あゝ上野駅」の爆発的なヒットで一躍人気歌手の仲間入りを果たし、「八ちゃん」と呼ばれ愛された。亡くなった日は、くしくも長女の女優工藤夕貴の36歳の誕生日だった。
若きブログ人に伝えるなら、工藤夕貴の父親といったほうが早い。
夕貴はこの日、悲しみをこらえて公式ホームページに闘病経緯などを記した
人懐っこい笑顔と、伸びやかな歌声で知られた「八ちゃん」が約1年3カ月の闘病の末に逝った。
食道がんが見つかったのは05年9月。
病気をきっかけに夕貴は「本当に久しぶりに父と再会した」と言う。
翌月に手術。無事退院したが、昨年5月にリンパ節へのがん転移が発覚。放射線治療や免疫療法を行ったが、病状が悪化したために、11月に再入院した。
今月17日朝。病院へ見舞いに行った夕貴は、こん睡状態の井沢さんに話しかけた。
「パパに会って誕生日祝ってもらえるなんて何十年ぶりだろうね。こうしてパパに会えることが私にとって最高のプレゼントだね」。病床の井沢さんが「おめでとう」と2回繰り返したのが、父から娘への最後の言葉になった。
再婚したゆえか、顔をあわせていなかったようだ。
井沢は61年に上京。歌手になりたい一心で、親に内証で米を1俵売って交通費を工面した。
作曲家大沢浄二に弟子入りし、63年に「男船」でデビュー。
翌年発売したのが、集団就職者をテーマに、地方出身者の哀愁を歌った「あゝ上野駅」だった。
上野駅は東北地方などへのターミナル駅で、「金の卵」と呼ばれた若者の愛唱歌として爆発的な大ヒット。
ほかにも「北海の満月」「男傘」などの、伸びやかで力強い歌声が多くのファンを魅了した。
一方、本業以外でも世間を何度も騒がせた。
交通違反の不出頭で逮捕(83年)、16歳少女との淫行(85年)、隠し子発覚(87年)などが重なって89年に離婚。
93年に元内弟子の美代子夫人(45)との再婚では25歳の年齢差が話題を呼んだ。
「もう生の歌声を聞くことはできませんが、歌手としての井沢八郎は生き続けています。
今、父には感謝の言葉しか出てきません」。夕貴の言葉は、昭和に響いた歌声を悼む多くのファンの気持ちと通じている。
集団就職とは農村から都会に大規模な人材資本が送り込まれた事を言う。
54年に開始され75年に集団就職列車は廃止された。
金の卵ともてはやされた世代は団塊の世代と呼ばれる。
この世代はすべてに共通の記憶で常に仲間意識が芽生える。
今次のおのぼりさんもそこのところのお人好しのツケが回ってきたのの確認作業なのかもしれない。
どうなるのかついにパスワード不明のための放棄してしまったブログ。
どうにも復活に協力がいただけず、困り、新規に書く続けることにした。
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八丁堀に急襲するが不在。
何とか依頼者に会え、一人になるとこの界隈がいい。
上野は東北地方の人が初めて触れる大都会・東京の玄関口。
カラオケでも上野駅の表示が旅愁を誘う仕組みの映像がムードを盛り上げる。
この地に立ってるおのぼりさんのせきやんなのである。
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ところがいやなニュースが飛び込んだ。
まったく偶然にも新聞が訃報を伝えている。
「あゝ上野駅」で大ヒットの井沢八郎(本名工藤金一)が17日午後11時18分、食道がんのため、東京都内の病院で死去した。69歳。青森県出身。集団就職者をテーマにした「あゝ上野駅」の爆発的なヒットで一躍人気歌手の仲間入りを果たし、「八ちゃん」と呼ばれ愛された。亡くなった日は、くしくも長女の女優工藤夕貴の36歳の誕生日だった。
若きブログ人に伝えるなら、工藤夕貴の父親といったほうが早い。
夕貴はこの日、悲しみをこらえて公式ホームページに闘病経緯などを記した
人懐っこい笑顔と、伸びやかな歌声で知られた「八ちゃん」が約1年3カ月の闘病の末に逝った。
食道がんが見つかったのは05年9月。
病気をきっかけに夕貴は「本当に久しぶりに父と再会した」と言う。
翌月に手術。無事退院したが、昨年5月にリンパ節へのがん転移が発覚。放射線治療や免疫療法を行ったが、病状が悪化したために、11月に再入院した。
今月17日朝。病院へ見舞いに行った夕貴は、こん睡状態の井沢さんに話しかけた。
「パパに会って誕生日祝ってもらえるなんて何十年ぶりだろうね。こうしてパパに会えることが私にとって最高のプレゼントだね」。病床の井沢さんが「おめでとう」と2回繰り返したのが、父から娘への最後の言葉になった。
再婚したゆえか、顔をあわせていなかったようだ。
井沢は61年に上京。歌手になりたい一心で、親に内証で米を1俵売って交通費を工面した。
作曲家大沢浄二に弟子入りし、63年に「男船」でデビュー。
翌年発売したのが、集団就職者をテーマに、地方出身者の哀愁を歌った「あゝ上野駅」だった。
上野駅は東北地方などへのターミナル駅で、「金の卵」と呼ばれた若者の愛唱歌として爆発的な大ヒット。
ほかにも「北海の満月」「男傘」などの、伸びやかで力強い歌声が多くのファンを魅了した。
一方、本業以外でも世間を何度も騒がせた。
交通違反の不出頭で逮捕(83年)、16歳少女との淫行(85年)、隠し子発覚(87年)などが重なって89年に離婚。
93年に元内弟子の美代子夫人(45)との再婚では25歳の年齢差が話題を呼んだ。
「もう生の歌声を聞くことはできませんが、歌手としての井沢八郎は生き続けています。
今、父には感謝の言葉しか出てきません」。夕貴の言葉は、昭和に響いた歌声を悼む多くのファンの気持ちと通じている。
集団就職とは農村から都会に大規模な人材資本が送り込まれた事を言う。
54年に開始され75年に集団就職列車は廃止された。
金の卵ともてはやされた世代は団塊の世代と呼ばれる。
この世代はすべてに共通の記憶で常に仲間意識が芽生える。
今次のおのぼりさんもそこのところのお人好しのツケが回ってきたのの確認作業なのかもしれない。
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大正ロマン
2007年1月18日大正ロマン
2006年1月16日 TrackBack
過去の日記を再掲する必要に迫られた。
いろいろ聞かれたことにブログを見てください!と答えた故。
世界的閉塞の時代に日本だけが輝けるはずはない。「災」の一年であった。
その一切の責任は地球の為政者で征服者の責任に帰する。
自らが生み出した大量生産・大量消費の経済の負が地球環境を脅かしこの暖冬で誰しもお気づきのはずだ。
ところが世界環境会議はボイコットしたまま。
ほしい石油産出国のイラクは大儀をかなぐり捨てて侵略し支配したままである。
何が正義で何が悪なのかテロリストの冠名詞で善悪が分けられようとの乱暴な時代のメークマールがまかり通っている混沌として時代である。
わが国は守り抜いてきた理想をかなぐり捨て、わが軍をついに国外に派遣するまでになった。
しかるに来年度の国家予算は国内総生産(GDP)より累積国債総額が超過する経済政策である。
財政のほぼ半分は国債という借金である。
文化不毛の国は幻想が現実政策である。
黎明期の時代にヒントをもとめ再出発ぱつを図るしかない。
最初にわが国が輝いて時代は関東大震災までの大正時代である。
それは大正デモクラシーの波の中ではぐくまれた、
大衆の力の自覚は個人の自覚で自分で生き抜くいう点で、
明治から太平洋戦争の敗戦までの歴史の中で異彩を放っている。
政治的は浮き足立つほど輝いていた。
それは日清、日露、第一次世界大戦の勝利とそれによる国際意識の形成があった
今日の国連常任理事国復帰を前に国民には、なしのつぶてで沸かないのとは大違いである。
それはまた内面を見つめる文芸へも目が向いてきた。
人間主義を唱え新天地日向での「新しき村」を実現し県内での公演は多くの活力を与えた。
これら武者小路実篤や志賀直哉ら白樺派による楽天的な個人主義
、それに大きく影響を受けた自由主義教育運動
世界的にはレーニンらによるソビエト連邦の成立に刺激されたマルクスやエンゲルスに共産主義思想の流布といった、共産主義思想の勃興とその国家の樹立。
今の米国一極主義の無風と違った風がふいていた、
日本が大衆レベルで国際化する時代であった。
その中で花開いたのが浅草オペラであった。
大正時代の西洋音楽の大衆化に貢献した、鈴木三重吉らの
「赤い鳥」運動と、佐々紅華らを中心とした浅草オペラが喚起で迎えられた。
殊に、浅草オペラはその後のシミキンこと清水金一、や二村定一、榎本健一らに代表されるボードビル・ショーをうんだ、
昭和ジャズ、浅草オペラの手法をほぼ原型のまま踏襲している
宝塚歌劇へと発展する。
藤原義江に代表される本格的オペラ運動の原点でもある。
時代の大転換期とは不思議なもので、転換期を担う人々が、まるで神の使わせし使者のように、救世主として出現してくる。
これらの人々は、担わされた歴史的使命は露とも知らず、自由意志によって当然活動する
日本の歴史に名をとどめた人々のストーリーがそこにあることに気がつく。
遠くは義経であり、新田義貞、天草四郎、西郷隆盛らの役割である。
、
その意味で言えば、大正時代とは大衆が自身の力を自覚した時期でありる。
、
短期間で大衆が西洋文化を消化吸収し、日本的西洋文化たる和洋折衷文化を花開かせたときでもあった。
では、浅草オペラの勃興から衰退までを佐々紅華を中心に
振り返ってみよう。
作曲家佐々紅華は第3回レコード大賞受賞「君恋し」や
「祇園小唄」、プロ野球のヤクルトスワローズの応援歌にもなっている「東京音頭」の作曲者である
津島利典さんのNHKラジオ深夜便で
「東京歌劇座」の80年ぶりの復活の話を聞いた。
清島監督は正義・情熱の人で観客動員ができない映画を作る。
その点わが宮崎の黒木監督に通づるところがある。
義父・佐々紅華も戦争時期ただの一曲も曲を作らず、秩父の山奥・埼玉県寄居町に疎開永住の地として昭和7年に、池袋から2時間の現在の枕流荘[京亭]を建てすごした反骨の人
DNAは引き継がれる。
歴史を記念して東宝争議決着から50周年にしてドキュメント映画を完成させた。
「闘ふ映画人の記録−来なかったのは軍艦だけ」
そのいきさつをまとめたドキュメンタリー映画
東宝争議は戦後の労働争議を性格付けた
電産闘争、そして政治のあり方の中道路線
わが宮崎では旭化成の紛争で政治的に異風を生んだ
宮崎と名古屋を中心とする一大政治勢力である。
今日の後進県たる生活基盤未整備の道路鉄道の燦燦たる状況はひとえにこの政治に帰する。
インフラの未整備との詭弁で政治家は誤魔化す。
特にこのことが宮崎の今日の姿。
東宝争議が昭和23年8月19日に“決着”してから56年を迎える、
映画は、俳優の故花沢徳衛さんら当時の組合員や遺族へ足かけ三年にわたり行われたインタビューが中心。
誰かさんの映画手法ににてません?
現存する唯一のニュースフィルム(約十分間)や関係者から提供された写真などを挿入して、撮影所の中から見た「8月19日」を再現した96分の作品。
清島利典監督は「映像集めには苦労した。
あの時代の映画人が『暴力では文化は破壊されない』と戦車の前に立ちはだかろうとした理由を、今の若い映画人に知ってもらいたい」と話している。
飛鳥田一雄横浜市長の米軍戦車前にすわりこんだ政治家を彷彿させる。飛鳥田は明治大映画部で後輩の川島雄三に大きな影響を与えた。
江戸文化たる落語を題材にした居残り左平次の映像化「幕末太陽伝」
都会派監督川島の面目躍如たるものがある娯楽名作
フランキー堺は役者の能力の全てを開花させた
「地獄も極楽もあるもんけえー、
おいら、まだまだ生きるんでエー!」
墓標の「花に嵐のたとえもあるぞ、
サヨナラだけが人生だ」
は青森の先輩太宰をも意識してのことか。
元に戻そう。浅草オペラ華ひらく大正浪漫のことである。
田谷力三、清水金一、原信子、藤原義江等々、浅草オペラ人気歌手の1920年から1938年は録音でとして残っている。
田谷力三、の回顧にある
唾かかるほど密接な距離でのカルメン
浅草オペラと言えばあれもそうか!と多くのアレンジである。
リズムはマーチもあり実に愉快になる。
コロッケの歌のコミック調とてもオペラではないが和む。
暮らしとともに創る文化は心のよりどころとなる
外国・レシピ・コロッケ・村長さん・大工一世を風靡したはずだ
ビゼーのカルメンの悲劇の結末を下町に置き換える機転のよさ。
1917(大正6)年 伊庭孝率いる歌舞劇協会が浅草六区常盤座で彼の作になる「女軍出征」を初演、この成功から、いわゆる浅草オペラの時代が幕開けた
それから1923年大正12年 9月1日の関東大震災までの約6年半が、大正大衆文化の象徴とも言うべき浅草オペラの時代
私のカラオケの十八番はこのころの曲ばかり。堀内敬三には感謝
「君恋し」、「青空」、「アラビアの唄」「乾杯の歌」
ナレーションもいります。歌うは長州の人亡き、二村定一、
、浅草オペラからエノケンの音楽喜劇・コミックソングへ、
そしてNHK軽音楽三木鶏郎(トリロー)へと連なる。
アラビヤの歌
訳詞 堀内敬三・作曲 FRED FISHER
砂漠に陽が落ちて 夜となるころ 恋人よなつかしい 歌を歌おうよ
あのさびしい調べに 今日も涙流そう
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2006年1月16日 TrackBack
過去の日記を再掲する必要に迫られた。
いろいろ聞かれたことにブログを見てください!と答えた故。
世界的閉塞の時代に日本だけが輝けるはずはない。「災」の一年であった。
その一切の責任は地球の為政者で征服者の責任に帰する。
自らが生み出した大量生産・大量消費の経済の負が地球環境を脅かしこの暖冬で誰しもお気づきのはずだ。
ところが世界環境会議はボイコットしたまま。
ほしい石油産出国のイラクは大儀をかなぐり捨てて侵略し支配したままである。
何が正義で何が悪なのかテロリストの冠名詞で善悪が分けられようとの乱暴な時代のメークマールがまかり通っている混沌として時代である。
わが国は守り抜いてきた理想をかなぐり捨て、わが軍をついに国外に派遣するまでになった。
しかるに来年度の国家予算は国内総生産(GDP)より累積国債総額が超過する経済政策である。
財政のほぼ半分は国債という借金である。
文化不毛の国は幻想が現実政策である。
黎明期の時代にヒントをもとめ再出発ぱつを図るしかない。
最初にわが国が輝いて時代は関東大震災までの大正時代である。
それは大正デモクラシーの波の中ではぐくまれた、
大衆の力の自覚は個人の自覚で自分で生き抜くいう点で、
明治から太平洋戦争の敗戦までの歴史の中で異彩を放っている。
政治的は浮き足立つほど輝いていた。
それは日清、日露、第一次世界大戦の勝利とそれによる国際意識の形成があった
今日の国連常任理事国復帰を前に国民には、なしのつぶてで沸かないのとは大違いである。
それはまた内面を見つめる文芸へも目が向いてきた。
人間主義を唱え新天地日向での「新しき村」を実現し県内での公演は多くの活力を与えた。
これら武者小路実篤や志賀直哉ら白樺派による楽天的な個人主義
、それに大きく影響を受けた自由主義教育運動
世界的にはレーニンらによるソビエト連邦の成立に刺激されたマルクスやエンゲルスに共産主義思想の流布といった、共産主義思想の勃興とその国家の樹立。
今の米国一極主義の無風と違った風がふいていた、
日本が大衆レベルで国際化する時代であった。
その中で花開いたのが浅草オペラであった。
大正時代の西洋音楽の大衆化に貢献した、鈴木三重吉らの
「赤い鳥」運動と、佐々紅華らを中心とした浅草オペラが喚起で迎えられた。
殊に、浅草オペラはその後のシミキンこと清水金一、や二村定一、榎本健一らに代表されるボードビル・ショーをうんだ、
昭和ジャズ、浅草オペラの手法をほぼ原型のまま踏襲している
宝塚歌劇へと発展する。
藤原義江に代表される本格的オペラ運動の原点でもある。
時代の大転換期とは不思議なもので、転換期を担う人々が、まるで神の使わせし使者のように、救世主として出現してくる。
これらの人々は、担わされた歴史的使命は露とも知らず、自由意志によって当然活動する
日本の歴史に名をとどめた人々のストーリーがそこにあることに気がつく。
遠くは義経であり、新田義貞、天草四郎、西郷隆盛らの役割である。
、
その意味で言えば、大正時代とは大衆が自身の力を自覚した時期でありる。
、
短期間で大衆が西洋文化を消化吸収し、日本的西洋文化たる和洋折衷文化を花開かせたときでもあった。
では、浅草オペラの勃興から衰退までを佐々紅華を中心に
振り返ってみよう。
作曲家佐々紅華は第3回レコード大賞受賞「君恋し」や
「祇園小唄」、プロ野球のヤクルトスワローズの応援歌にもなっている「東京音頭」の作曲者である
津島利典さんのNHKラジオ深夜便で
「東京歌劇座」の80年ぶりの復活の話を聞いた。
清島監督は正義・情熱の人で観客動員ができない映画を作る。
その点わが宮崎の黒木監督に通づるところがある。
義父・佐々紅華も戦争時期ただの一曲も曲を作らず、秩父の山奥・埼玉県寄居町に疎開永住の地として昭和7年に、池袋から2時間の現在の枕流荘[京亭]を建てすごした反骨の人
DNAは引き継がれる。
歴史を記念して東宝争議決着から50周年にしてドキュメント映画を完成させた。
「闘ふ映画人の記録−来なかったのは軍艦だけ」
そのいきさつをまとめたドキュメンタリー映画
東宝争議は戦後の労働争議を性格付けた
電産闘争、そして政治のあり方の中道路線
わが宮崎では旭化成の紛争で政治的に異風を生んだ
宮崎と名古屋を中心とする一大政治勢力である。
今日の後進県たる生活基盤未整備の道路鉄道の燦燦たる状況はひとえにこの政治に帰する。
インフラの未整備との詭弁で政治家は誤魔化す。
特にこのことが宮崎の今日の姿。
東宝争議が昭和23年8月19日に“決着”してから56年を迎える、
映画は、俳優の故花沢徳衛さんら当時の組合員や遺族へ足かけ三年にわたり行われたインタビューが中心。
誰かさんの映画手法ににてません?
現存する唯一のニュースフィルム(約十分間)や関係者から提供された写真などを挿入して、撮影所の中から見た「8月19日」を再現した96分の作品。
清島利典監督は「映像集めには苦労した。
あの時代の映画人が『暴力では文化は破壊されない』と戦車の前に立ちはだかろうとした理由を、今の若い映画人に知ってもらいたい」と話している。
飛鳥田一雄横浜市長の米軍戦車前にすわりこんだ政治家を彷彿させる。飛鳥田は明治大映画部で後輩の川島雄三に大きな影響を与えた。
江戸文化たる落語を題材にした居残り左平次の映像化「幕末太陽伝」
都会派監督川島の面目躍如たるものがある娯楽名作
フランキー堺は役者の能力の全てを開花させた
「地獄も極楽もあるもんけえー、
おいら、まだまだ生きるんでエー!」
墓標の「花に嵐のたとえもあるぞ、
サヨナラだけが人生だ」
は青森の先輩太宰をも意識してのことか。
元に戻そう。浅草オペラ華ひらく大正浪漫のことである。
田谷力三、清水金一、原信子、藤原義江等々、浅草オペラ人気歌手の1920年から1938年は録音でとして残っている。
田谷力三、の回顧にある
唾かかるほど密接な距離でのカルメン
浅草オペラと言えばあれもそうか!と多くのアレンジである。
リズムはマーチもあり実に愉快になる。
コロッケの歌のコミック調とてもオペラではないが和む。
暮らしとともに創る文化は心のよりどころとなる
外国・レシピ・コロッケ・村長さん・大工一世を風靡したはずだ
ビゼーのカルメンの悲劇の結末を下町に置き換える機転のよさ。
1917(大正6)年 伊庭孝率いる歌舞劇協会が浅草六区常盤座で彼の作になる「女軍出征」を初演、この成功から、いわゆる浅草オペラの時代が幕開けた
それから1923年大正12年 9月1日の関東大震災までの約6年半が、大正大衆文化の象徴とも言うべき浅草オペラの時代
私のカラオケの十八番はこのころの曲ばかり。堀内敬三には感謝
「君恋し」、「青空」、「アラビアの唄」「乾杯の歌」
ナレーションもいります。歌うは長州の人亡き、二村定一、
、浅草オペラからエノケンの音楽喜劇・コミックソングへ、
そしてNHK軽音楽三木鶏郎(トリロー)へと連なる。
アラビヤの歌
訳詞 堀内敬三・作曲 FRED FISHER
砂漠に陽が落ちて 夜となるころ 恋人よなつかしい 歌を歌おうよ
あのさびしい調べに 今日も涙流そう
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再掲
2007年1月18日羽田まで鉄の塊が空を飛ぶ恐怖感をようやく終え、モノレールで凄いな〜!東京だ!と感激をしながら浜松町のモノレール終点で降りたら、スケジュールに余裕があるときは日の出桟橋から隅田川を船で昇る。
ここで、しばしの疑問がいつも横たわる。この隅田川にかかる架橋の数が実にまちまちなのである。
たとえば不思議な断定調の記述がある。
・・・隅田川には 現在 25の橋が架かっているが (鉄道の橋などは除く),・・
(の・ぞ・く・?)いつタイ何橋なんですか!?
墨田区内で隅田川にかかる橋のうち、人が通行できる橋が9つ(水神大橋、白鬚橋、桜橋、言問橋、吾妻橋、駒形橋、厩橋、蔵前橋、両国橋)、鉄道か自動車しか通行できない橋が3つ(東武伊勢崎線鉄橋、JR総武線、首都高速6・7号線)あり、合計12の橋が墨田区にある。そしてその下流に7つ(新大橋、清洲橋、隅田川大橋、永代橋、中央大橋、佃大橋、勝鬨橋)あるので合計19となる
東京ベイ・ブリッジは東京湾にかかる橋で隅田川ではない。よって最下流橋は勝鬨橋のハズである。
サイド違う資料から拾うとつぎのようになる。
新神谷橋 新田橋 豊島橋 小台橋 尾久橋 尾竹橋 千住大橋
白髭橋桜橋 言問橋 吾妻橋 駒形橋 厩橋 蔵前橋 両国橋 新大橋 清洲橋 隅田川大橋 永代橋 相生橋 佃大橋 勝鬨橋
田舎もんどこまでが墨田区かがわからない。?
江戸時代末期には 橋の数は 5つ最初に架けられたのが 千住大橋で, 家康入府後まもなく1594年(文禄3年)のこと。
それから60年余りの間, ここが隅田川の唯一の橋。
次いで 両国橋, 永代橋, 新大橋, 吾妻橋 の順で橋が架けられた。
それまでは渡し船。それぞれに記念板に書いて現地にそれぞれ書き留めてある。
たとえば、中央区築地6-20-11
現在の月島1-4丁目は 明治25年(1892) 勝どき1-4丁目は 同27年(1894)に完成した埋立地。
銀座・築地方面と月島との間には, 明治29年(1896)に「月島のわたし」があり、 月島側の発展に伴い, 両地の交通はこれのみではさばけない状態となる、
「かちどきのわたし」は明治38年(1905) 1月の 旅順陥落祝捷会に際 隅田川に架けられた。
なん〜だ、日露戦争の勝利の橋で・・か・ち・ど・き・だ〜・!エィ、エイィオ〜で勝鬨橋!
ちょうちん行列で勝利に沸いた当時の江戸っ子ぶり、よくわかります。
勝鬨橋から北区まで、橋の数は31また〜〜この違う数字。!起点はあくまで勝どき橋のハズなのに。
ところで橋のことは決着がつかぬのでさておき先日書きかけていた花火のことである。
日本はお上の国、上意下達からしか始まらぬのは世の常のものらしい。
庶民の楽しみたる夏を忘れ涼をを楽しむ花火大会にしてもそのようである。
もともとは軍事用の狼煙として始まった花火は、天下泰平の世になると観賞用の大花火として生き残り、発達する。
江戸前期、隅田川に架かっていた橋は、両国・新大橋・永代のわずか三橋のみ。
文禄3年に、当時の奉行伊奈忠次によって隅田川に架けられた最初の橋は、ただ大橋とのみ呼ばれていたが、下流に両国橋や新大橋などが架けられると千住の地名を冠して千住大橋と呼ばれるようになる。
当時の橋は、橋長120m、幅員7mで当然木橋。
千住大橋を北千住方面から渡ってまっすぐ行くと、三ノ輪、入谷、上野と続く。入谷と上野の間、鶯谷辺りから道を逸れると谷中の墓地。私のおのぼりさんの定番のコース。
両国橋あたりはもともと盛り場だったので、夏ともなれば輪をかけて涼み客が集まった。
蛍狩、蓮見、虫聞きなど、自然の中に涼を求めて楽しんだ。
なかでも、江戸っ子の大のお気に入りは、隅田川のそぞろ歩き。
旧暦5月28日から8月28日までは夕涼みの期間とされ、水茶屋や飲食の物売り、見世物小屋、寄席などは夜半までの営業が許可された
京都の加茂川沿い。先斗町ですね〜。あのそぞろ歩きほど日本人の男と生まれし良さはない。
茶店で加茂川を見ながらの至福の時間。
京の夜 よくぞ男に生まれけり。である。
江戸は両国の花火大会、享保18(1733)年5月28日の川開きを嚆矢とする。
両国で盛大に打ち上げ花火が行われるようになったのは次のようなことのようである・
前年、飢饉や疫病流行による死者が出たため、8代将軍吉宗はその供養のための水神祭りを催したその際、両岸の水茶屋や船遊びの客が花火を上げさせたのが名物となった。
それからは納涼の期間中毎夜でも花火は打ち上げられるようになる。
両国橋の上流には玉屋、下流に鍵屋の花火船がそれぞれ陣取って、夜空に咲く花の華やかさを競い合った。
それを見た江戸の人々は「た〜まやぁ〜」「か〜ぎやぁ〜」と声を掛けて興じた。
天保14(1843)年4月に、両国吉川町(現中央区)の玉屋の自宅から失火し、町並みの半丁ほどを類焼させてしまう。折しも12代将軍家慶の日光社参中だったため、特に重い罪に問われ、玉屋は所払い・追放の処分を受け、廃業を余儀なくされる。「人は一代、名は末代で末永く後世に伝えられる」。、
「た〜まやぁ〜」の掛け声に消えてしまった玉屋の偉業も その名残をとどめている。
玉屋の始まりには、天才花火師「清七」という人物に始まる。
この人、元々は元祖花火製造元ともいうべき鍵屋という店のただの手代。
手代とは、丁稚、手代、番頭という出世のまだ途中の段階。
会社で言えば、まだまだ成り立ての中間管理職のような立場。
しかし当時、異例中の異例として鍵屋から独立を許され、
しかも店を創るための援助まで貰っている。
、みすみす自分の店の強烈なライバルになるであろう天才花火師を独立させ、しかも援助。
江戸時代には、現在とは違った物事の判断基準があったのかもしれない・・・。
私共は旧所属のアパの栄光を高めるためにアパデン宮崎として領袖を心に決め出発したが心根はどうしても理解してもらえないでいる。よってサンデン宮崎としての再出発を余儀なくされている。のれんわけの難しさ。
日本の花火は、尺貫法の寸(一寸=約3.3cm基準にして、直径が3寸のものを三号玉、一尺のものを十号玉(約30cm)と呼ばれてる。主に、三号玉(9cm)、四号玉(12cm)、5号玉(15cm)、7号玉(21cm)、10号玉:1尺玉(30cm)、20号:2尺玉(60cm)、30号玉:3尺玉(60cm)が作られている。
菊 牡丹 錦菊
最も古典的な花火で割物といえばこの菊花型割物花火のこと 星が尾を引かずに、色や光の点で形を描く。。構造的には菊と変わりません。牡丹にはこうして芯が入るのが基本 金色の星を使った菊型花火です。冠(かむろ)と違って星は長く落ちません
ひまわり 土星 回転
中心部は球体ですが、花弁の部分は大きな星を使い、ひまわりのように平たくなっています 風車ふうの仕掛け花火です。風でなく、花火の噴射による推進力でクルクル回るもの
単色スターマイン 飛遊星スターマイン ナイアガラの滝
おもに一種類の色の牡丹玉が使われます 分包ものの一種で、星が不規則にかつスピーディに四方八方に飛散します ワイヤーに無数のランスという細い筒に入った花火を吊り下げたもの
打ち上げられた花火が、ちょうど最高到達点に達したときに開くのが最高とされる。
昇り途中や、下り途中で開いてしまうと球の形が崩れてしまう可能性がある。
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ここで、しばしの疑問がいつも横たわる。この隅田川にかかる架橋の数が実にまちまちなのである。
たとえば不思議な断定調の記述がある。
・・・隅田川には 現在 25の橋が架かっているが (鉄道の橋などは除く),・・
(の・ぞ・く・?)いつタイ何橋なんですか!?
墨田区内で隅田川にかかる橋のうち、人が通行できる橋が9つ(水神大橋、白鬚橋、桜橋、言問橋、吾妻橋、駒形橋、厩橋、蔵前橋、両国橋)、鉄道か自動車しか通行できない橋が3つ(東武伊勢崎線鉄橋、JR総武線、首都高速6・7号線)あり、合計12の橋が墨田区にある。そしてその下流に7つ(新大橋、清洲橋、隅田川大橋、永代橋、中央大橋、佃大橋、勝鬨橋)あるので合計19となる
東京ベイ・ブリッジは東京湾にかかる橋で隅田川ではない。よって最下流橋は勝鬨橋のハズである。
サイド違う資料から拾うとつぎのようになる。
新神谷橋 新田橋 豊島橋 小台橋 尾久橋 尾竹橋 千住大橋
白髭橋桜橋 言問橋 吾妻橋 駒形橋 厩橋 蔵前橋 両国橋 新大橋 清洲橋 隅田川大橋 永代橋 相生橋 佃大橋 勝鬨橋
田舎もんどこまでが墨田区かがわからない。?
江戸時代末期には 橋の数は 5つ最初に架けられたのが 千住大橋で, 家康入府後まもなく1594年(文禄3年)のこと。
それから60年余りの間, ここが隅田川の唯一の橋。
次いで 両国橋, 永代橋, 新大橋, 吾妻橋 の順で橋が架けられた。
それまでは渡し船。それぞれに記念板に書いて現地にそれぞれ書き留めてある。
たとえば、中央区築地6-20-11
現在の月島1-4丁目は 明治25年(1892) 勝どき1-4丁目は 同27年(1894)に完成した埋立地。
銀座・築地方面と月島との間には, 明治29年(1896)に「月島のわたし」があり、 月島側の発展に伴い, 両地の交通はこれのみではさばけない状態となる、
「かちどきのわたし」は明治38年(1905) 1月の 旅順陥落祝捷会に際 隅田川に架けられた。
なん〜だ、日露戦争の勝利の橋で・・か・ち・ど・き・だ〜・!エィ、エイィオ〜で勝鬨橋!
ちょうちん行列で勝利に沸いた当時の江戸っ子ぶり、よくわかります。
勝鬨橋から北区まで、橋の数は31また〜〜この違う数字。!起点はあくまで勝どき橋のハズなのに。
ところで橋のことは決着がつかぬのでさておき先日書きかけていた花火のことである。
日本はお上の国、上意下達からしか始まらぬのは世の常のものらしい。
庶民の楽しみたる夏を忘れ涼をを楽しむ花火大会にしてもそのようである。
もともとは軍事用の狼煙として始まった花火は、天下泰平の世になると観賞用の大花火として生き残り、発達する。
江戸前期、隅田川に架かっていた橋は、両国・新大橋・永代のわずか三橋のみ。
文禄3年に、当時の奉行伊奈忠次によって隅田川に架けられた最初の橋は、ただ大橋とのみ呼ばれていたが、下流に両国橋や新大橋などが架けられると千住の地名を冠して千住大橋と呼ばれるようになる。
当時の橋は、橋長120m、幅員7mで当然木橋。
千住大橋を北千住方面から渡ってまっすぐ行くと、三ノ輪、入谷、上野と続く。入谷と上野の間、鶯谷辺りから道を逸れると谷中の墓地。私のおのぼりさんの定番のコース。
両国橋あたりはもともと盛り場だったので、夏ともなれば輪をかけて涼み客が集まった。
蛍狩、蓮見、虫聞きなど、自然の中に涼を求めて楽しんだ。
なかでも、江戸っ子の大のお気に入りは、隅田川のそぞろ歩き。
旧暦5月28日から8月28日までは夕涼みの期間とされ、水茶屋や飲食の物売り、見世物小屋、寄席などは夜半までの営業が許可された
京都の加茂川沿い。先斗町ですね〜。あのそぞろ歩きほど日本人の男と生まれし良さはない。
茶店で加茂川を見ながらの至福の時間。
京の夜 よくぞ男に生まれけり。である。
江戸は両国の花火大会、享保18(1733)年5月28日の川開きを嚆矢とする。
両国で盛大に打ち上げ花火が行われるようになったのは次のようなことのようである・
前年、飢饉や疫病流行による死者が出たため、8代将軍吉宗はその供養のための水神祭りを催したその際、両岸の水茶屋や船遊びの客が花火を上げさせたのが名物となった。
それからは納涼の期間中毎夜でも花火は打ち上げられるようになる。
両国橋の上流には玉屋、下流に鍵屋の花火船がそれぞれ陣取って、夜空に咲く花の華やかさを競い合った。
それを見た江戸の人々は「た〜まやぁ〜」「か〜ぎやぁ〜」と声を掛けて興じた。
天保14(1843)年4月に、両国吉川町(現中央区)の玉屋の自宅から失火し、町並みの半丁ほどを類焼させてしまう。折しも12代将軍家慶の日光社参中だったため、特に重い罪に問われ、玉屋は所払い・追放の処分を受け、廃業を余儀なくされる。「人は一代、名は末代で末永く後世に伝えられる」。、
「た〜まやぁ〜」の掛け声に消えてしまった玉屋の偉業も その名残をとどめている。
玉屋の始まりには、天才花火師「清七」という人物に始まる。
この人、元々は元祖花火製造元ともいうべき鍵屋という店のただの手代。
手代とは、丁稚、手代、番頭という出世のまだ途中の段階。
会社で言えば、まだまだ成り立ての中間管理職のような立場。
しかし当時、異例中の異例として鍵屋から独立を許され、
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、みすみす自分の店の強烈なライバルになるであろう天才花火師を独立させ、しかも援助。
江戸時代には、現在とは違った物事の判断基準があったのかもしれない・・・。
私共は旧所属のアパの栄光を高めるためにアパデン宮崎として領袖を心に決め出発したが心根はどうしても理解してもらえないでいる。よってサンデン宮崎としての再出発を余儀なくされている。のれんわけの難しさ。
日本の花火は、尺貫法の寸(一寸=約3.3cm基準にして、直径が3寸のものを三号玉、一尺のものを十号玉(約30cm)と呼ばれてる。主に、三号玉(9cm)、四号玉(12cm)、5号玉(15cm)、7号玉(21cm)、10号玉:1尺玉(30cm)、20号:2尺玉(60cm)、30号玉:3尺玉(60cm)が作られている。
菊 牡丹 錦菊
最も古典的な花火で割物といえばこの菊花型割物花火のこと 星が尾を引かずに、色や光の点で形を描く。。構造的には菊と変わりません。牡丹にはこうして芯が入るのが基本 金色の星を使った菊型花火です。冠(かむろ)と違って星は長く落ちません
ひまわり 土星 回転
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急告
2007年1月18日急告
1月18日
長らくご愛読いただきました日記が
サーバー管理者のパスワードを教えていただけないため書けなくなりそうです。
200000アクセスを前に断腸の思いですが無料ブログゆえ
いたし方アリマセン。
管理者がパスワード復帰に協力いただけない為です。
新規に立ち上げ続けるつもりです。
よろしけtればこちらで初めて行きます。
6年の実績がフイになり実に辛いです。
パスワード教えてくれ!
悲痛な叫びに答えてくれません
新規のアドレス
http://diarynote.jp/d/81130/0_0_0
1月18日
長らくご愛読いただきました日記が
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いたし方アリマセン。
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スピルバーグ監督の「プライベート・ライアン」をかってに訳して、「私的なライアン」と思い込み首をかしげることになってないか。「プライベート」は「兵卒」「二等兵」の意味。
「ホワイトカラー・エグゼンプション」も怪訝な名だ。
「残業代ゼロ制度」という解釈が独り歩きしているのも、邦題に工夫がないせいか。
一定条件を満たす会社員を労働時間規制から外し、自己裁量で働く時間を決められるルールという
、お役人好みのカタカナ言葉では分かるものも分からなくなる。
たまりかねたのか、柳沢伯夫厚労相は「自己管理型労働と言わせてほしい」とタイトル変更を申し出た。
もっとも、新制度は対象があいまいで使われ方もはっきりしないから「自己管理」と聞いても胸にストンと落ちるものがない。
中身をじっくり議論し肉付けをしないことには、日本語にはなりえない。
政府はこの法案を見送った。
けんちゃん議員先生のブログの解説
参院選を控えて、今の状況では提出できないと判断したのだろう。
ただ、この制度が悪いという思いではないらしい。
選挙前に民主党に得点を与える必要は無いという判断のようだ。消費税の議論と同じで、ただ単に先送りしてごまかすのは国民を愚弄する行為だと思う。
県会議員、国会議員と上り詰められる方のブログはオーラを感じる。
懐かしき光あふれるものだ。
観光地名物の『青島ういろう」
50年前そのままの木の皮に包み、宣伝小品を知らせるパッケージもそのまま紐もカミの紐
きりりと結んである上部の輪ッカに指を通して「ありがとう」である。
ぶらブラブラが心表すホリディー・タイム
吉野弘さんに、「ほぐす」という題名の詩がある。
「小包みの紐(ひも)の結び目をほぐしながら/思ってみる/――結ぶときより、ほぐすとき/すこしの辛抱が要るようだと」
詩想はやがて、愛が冷めた男女の別離に向かう。
人と人とが日々に連ねた熱い結び目も
「冷めてからあと、ほぐさねばならないとき/多くのつらい時を費す…」のだ、と
小包の紐は解かれることを想定し、ほどきやすいように加減して結ぶこともできる。
解く日が来ようとは万が一にも思っていない男女の結び目に加減はない。
悲劇はしばしば、冷めた結び目の上に宿る
結び目の解き方としては最悪の選択をしてるのがせきやんであろう。
新聞記事を読みつつ記憶に残そうと転写する。
委ねる別の解き方があったろうにと・・・・
男女の仲に限らず、縁を結んでは解く繰り返しのなかで人は生きている
思うような結末には至らずとも、結び目にいらだち、ナイフで紐を断つように人と別れて悔いることもある。
ほどく時の「すこしの辛抱」あの幼き頃の記憶を忘れまい。
16,17ネット喫茶でパスワード復帰に、挑戦するも無理。
どうしょうもない状況である。
非常手段でのアップロード
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一定条件を満たす会社員を労働時間規制から外し、自己裁量で働く時間を決められるルールという
、お役人好みのカタカナ言葉では分かるものも分からなくなる。
たまりかねたのか、柳沢伯夫厚労相は「自己管理型労働と言わせてほしい」とタイトル変更を申し出た。
もっとも、新制度は対象があいまいで使われ方もはっきりしないから「自己管理」と聞いても胸にストンと落ちるものがない。
中身をじっくり議論し肉付けをしないことには、日本語にはなりえない。
政府はこの法案を見送った。
けんちゃん議員先生のブログの解説
参院選を控えて、今の状況では提出できないと判断したのだろう。
ただ、この制度が悪いという思いではないらしい。
選挙前に民主党に得点を与える必要は無いという判断のようだ。消費税の議論と同じで、ただ単に先送りしてごまかすのは国民を愚弄する行為だと思う。
県会議員、国会議員と上り詰められる方のブログはオーラを感じる。
懐かしき光あふれるものだ。
観光地名物の『青島ういろう」
50年前そのままの木の皮に包み、宣伝小品を知らせるパッケージもそのまま紐もカミの紐
きりりと結んである上部の輪ッカに指を通して「ありがとう」である。
ぶらブラブラが心表すホリディー・タイム
吉野弘さんに、「ほぐす」という題名の詩がある。
「小包みの紐(ひも)の結び目をほぐしながら/思ってみる/――結ぶときより、ほぐすとき/すこしの辛抱が要るようだと」
詩想はやがて、愛が冷めた男女の別離に向かう。
人と人とが日々に連ねた熱い結び目も
「冷めてからあと、ほぐさねばならないとき/多くのつらい時を費す…」のだ、と
小包の紐は解かれることを想定し、ほどきやすいように加減して結ぶこともできる。
解く日が来ようとは万が一にも思っていない男女の結び目に加減はない。
悲劇はしばしば、冷めた結び目の上に宿る
結び目の解き方としては最悪の選択をしてるのがせきやんであろう。
新聞記事を読みつつ記憶に残そうと転写する。
委ねる別の解き方があったろうにと・・・・
男女の仲に限らず、縁を結んでは解く繰り返しのなかで人は生きている
思うような結末には至らずとも、結び目にいらだち、ナイフで紐を断つように人と別れて悔いることもある。
ほどく時の「すこしの辛抱」あの幼き頃の記憶を忘れまい。
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どうしょうもない状況である。
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イタリアのことは塩野七生の諸著作に尽きる。
このほど完結した「ローマ人の物語」十五巻は教科書を基本に編修された未履修問題に最適である。
カルロ・ポンティ(94)映画プロデューサーが亡くなったと新聞が報じた。
映画百選のハウツ−本、とりわけ淀川長治の語り口に必ず登場する作品群
ジュリエッタ・マシーナの名演技で知られる『道』や『鉄道員』などの名作を世に出してきた
イタリアを語るのに欠かせない
『ひまわり』もこの人のプロデュースである
ソフィア・ローレンといえば、やはり『ひまわり』
南イタリア育ち、大きな目に大きな口、情熱的で野性味のある女性を演じればこの女優の右に出る人はいない
ストリーは戦争が終わっても帰ってこない夫を捜して新妻がイタリアからロシアまで出かける。
大地に咲き乱れるひまわりの畑を彷徨する、この花が彼女のイメージにぴったり。
少女だったソフィアを一目で気に入った22歳年上のポンティは、せっせと自分の作品に出演させる。芸名もつけてやりスターに押し上げる。当然二人の仲は急接近するのだが、ポンティには妻がいる。それでも熱愛を貫き結婚したのは1966年のことだった。
日本でも死語となりつつある「糟糠の妻」を思わせる夫婦の絆。
訃報の中でもどこかホッとさせられた不思議な感覚は日本の世相ゆえか。
身に降りかかる苦難苦行ゆえか。
民族性の違いはあれど人間の生きる基本の普遍性は共通である認識を矜持しえた喜びであろうや。
涙腺は厳しき環境も手伝い緩みっぱなし。
名声を博した成功物語ゆえ美談にもなり、美しくもある。
仕事の違いはアレど社会的評価基準は一様である。
儲けを象徴する事業の成功が何よりで失敗すればこうは行かない。
ブログ管理さえままならぬ状況に追い込まれては余裕はない。
されどこれも人生。
どう生きるのか
団塊の世代に容赦なく襲ってくる世間の風。
力合わせて生き抜く姿ゆえ美しい。
それぞれの事情で生き抜く人生。
訪れ頂いた全員のクリック!
ブログ人生最後をたたえてください
あたたきなれブログ読者。
バーチャルの世界を惜しみ懐かしんでいる。
パソコン部品をかき集め作動さす。
YAHOO浮きの城店にのみ光を感じた一日
そこそこに温かみはある、すてたもんじゃ^ない社会
↑ご訪問有難うございます。
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このほど完結した「ローマ人の物語」十五巻は教科書を基本に編修された未履修問題に最適である。
カルロ・ポンティ(94)映画プロデューサーが亡くなったと新聞が報じた。
映画百選のハウツ−本、とりわけ淀川長治の語り口に必ず登場する作品群
ジュリエッタ・マシーナの名演技で知られる『道』や『鉄道員』などの名作を世に出してきた
イタリアを語るのに欠かせない
『ひまわり』もこの人のプロデュースである
ソフィア・ローレンといえば、やはり『ひまわり』
南イタリア育ち、大きな目に大きな口、情熱的で野性味のある女性を演じればこの女優の右に出る人はいない
ストリーは戦争が終わっても帰ってこない夫を捜して新妻がイタリアからロシアまで出かける。
大地に咲き乱れるひまわりの畑を彷徨する、この花が彼女のイメージにぴったり。
少女だったソフィアを一目で気に入った22歳年上のポンティは、せっせと自分の作品に出演させる。芸名もつけてやりスターに押し上げる。当然二人の仲は急接近するのだが、ポンティには妻がいる。それでも熱愛を貫き結婚したのは1966年のことだった。
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食わば毒まで
2007年1月15日食の安全が問われる年になるのやも知れない。
カキ・地鶏に不二家のお菓子、
お菓子に旬はないから良いが
宮崎は食材の宝庫。これでは悶々としてくる。
ノロウィルスは天然カキの時期に心理的に参っている。
加えて地鶏の焼き鳥も敬遠気味の風潮が、まかり通ろう。
新聞が紹介している。
「牡蠣(カキ)礼讃」(文春新書)はカキ養殖家・畠山重篤著書
この本でカキについての謎がいろいろ解ける。
豪快な料理法はこうだ。
漁民は、浜で一斗缶に火をおこし、缶のふたにむき身をドバッと入れ、白い汁が出てきたら、赤みそで味付けし、土手で摘んだセリをちぎってバサバサのせて食べるという。
いわれてる食通の常識も覆される。
例えば「英語でRの付かない月(5月から8月まで)のカキは食べるな」と言う
なぜイワガキは夏も食べられるのか。
答え−−このことわざはヨーロッパヒラガキの話で、日本産のマガキやイワガキは当てはまらない
ヨーロッパヒラガキは「Rの付かない月」に殻の中に卵を抱く。どろどろした卵が気味悪く母貝もやせてまずい。だがマガキ、イワガキは卵子、精子を海中に放出するので、こんな現象は起きない
もうひとつ。最近、オイスターバーで出される小粒の「クマモト」は外国産だ。なぜ熊本産ではないのか。
答え−−「クマモト」は「シカメ」という有明海の天然カキだ。
戦後、養殖用に米国に輸出された。
米国では小粒のカキが好まれるが、日本では需要がなく、その後有明海ではほぼ絶滅してしまった
さて肝心のノロウイルス対策である。
このウイルスはカキの中では増殖しない。
人間から人間に感染するので、調理人が手をよく洗うこと。
養殖場で大腸菌のほかウイルスの監視までやっているのは日本だけとも書いてあった。
畠山氏によれば、日本のマガキが一番おいしくなるのは3月だ。それなら慌てることはない。
旬はこれからだ。
ほとんどの鳥インフルエンザウイルスは人には感染しない、
なお、ウイルスは適切な加熱により完全に死滅する。
例外的に一部のウイルスが人に直接感染することがある。
それが、1997年の香港市民の感染(H5N1: 18名が感染し6名死亡)、
2003年の福建省に旅行した香港家族の感染(H5N1: 2名が感染し1名が死亡)、
2003年のオランダにおける防疫従事者の感染(H7N7: 約80名が感染し1名が死亡)
、2004〜2006年のベトナム、タイ、カンボジア、インドネシア、中国、トルコ、エジプト、アゼルバイジャン、イラク等市民の感染(H5N1)等だ。
アジアでH5N1亜型の高病原性鳥インフルエンザウイルスに感染した重症患者では、
肺炎、多臓器不全などの症状が報告されており、オランダでのH7N7亜型感染による軽症者の多くで結膜炎が報告されています
食品としての鶏肉や鶏卵を食べることによって、人が感染した例はない。
また、発生した場合には、発生農場を中心とした半径5〜30Kmの区域にある農場の生産物は、ない。ウイルス検査陰性でないと出荷できなくなり、ウイルス汚染鶏卵や鶏肉が市場に出回ることはない。
防衛省のハシャぎぶりが目に映る。
いちいち総務省にお伺いを立てなくとも米軍ともはなしができ、外国派兵も格上げされた仕事の範囲。
もはや自衛隊の名称変更がなされないと肥大化しす現状に合わない。
「硫黄島からの手紙」が好評でクリント・イーストウッド監督が溜飲を下げていよう。
圧倒的な兵力の米軍と無力な日本軍が対比され繰り返し描かれている
大言壮語する人ほど戦争に参加したか疑問だという。
クリント・イーストウッド監督の米国映画「硫黄島からの手紙」が評判だ。
硫黄島守備隊総司令官の栗林忠道・陸軍中将を渡辺謙が、一兵士の役を二宮和也が好演している
映画の紹介冊子にあるイーストウッド監督の言葉
「前線で死と隣り合わせになって戦った兵士たちは、いくら勲章を受けても戦場のこととなると、口をつぐんでしまう。遠方で操作している輩に限って見てきたような戦話をするのだと後になって知った」
圧倒的な兵力の米軍と無力な日本軍が対比され繰り返し描かれている
それが史実とはいえ心が穏やかでない。
すべての将兵とその家族にとって、戦争に駆り出されること、戦争に送り出すことの理不尽さが伝わる。
世界の軍事費の6割がアメリカである以上イラクを初めとするどこの戦場も同じであろう。
軍事で支配できても、人々の心までは支配できない。
米国の前防衛大臣が訪日する。
2万人増派兵に対する協力要請だ。
軍事省は初仕事ではりきっている。
野党だけでなく共和党の中からもブッシュのイラク戦争に反対が起きている。
ドロ沼化するイラクに日本がまったもや加担しようとしている
日中韓の共同声明ができあがった。
ようやく対話と圧力ができてるのか安倍内閣。
民主党大会が始まるが中国からの来賓もあるようだ。
与野党の外交努力の積み上げがようやく始まったようである。
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カキ・地鶏に不二家のお菓子、
お菓子に旬はないから良いが
宮崎は食材の宝庫。これでは悶々としてくる。
ノロウィルスは天然カキの時期に心理的に参っている。
加えて地鶏の焼き鳥も敬遠気味の風潮が、まかり通ろう。
新聞が紹介している。
「牡蠣(カキ)礼讃」(文春新書)はカキ養殖家・畠山重篤著書
この本でカキについての謎がいろいろ解ける。
豪快な料理法はこうだ。
漁民は、浜で一斗缶に火をおこし、缶のふたにむき身をドバッと入れ、白い汁が出てきたら、赤みそで味付けし、土手で摘んだセリをちぎってバサバサのせて食べるという。
いわれてる食通の常識も覆される。
例えば「英語でRの付かない月(5月から8月まで)のカキは食べるな」と言う
なぜイワガキは夏も食べられるのか。
答え−−このことわざはヨーロッパヒラガキの話で、日本産のマガキやイワガキは当てはまらない
ヨーロッパヒラガキは「Rの付かない月」に殻の中に卵を抱く。どろどろした卵が気味悪く母貝もやせてまずい。だがマガキ、イワガキは卵子、精子を海中に放出するので、こんな現象は起きない
もうひとつ。最近、オイスターバーで出される小粒の「クマモト」は外国産だ。なぜ熊本産ではないのか。
答え−−「クマモト」は「シカメ」という有明海の天然カキだ。
戦後、養殖用に米国に輸出された。
米国では小粒のカキが好まれるが、日本では需要がなく、その後有明海ではほぼ絶滅してしまった
さて肝心のノロウイルス対策である。
このウイルスはカキの中では増殖しない。
人間から人間に感染するので、調理人が手をよく洗うこと。
養殖場で大腸菌のほかウイルスの監視までやっているのは日本だけとも書いてあった。
畠山氏によれば、日本のマガキが一番おいしくなるのは3月だ。それなら慌てることはない。
旬はこれからだ。
ほとんどの鳥インフルエンザウイルスは人には感染しない、
なお、ウイルスは適切な加熱により完全に死滅する。
例外的に一部のウイルスが人に直接感染することがある。
それが、1997年の香港市民の感染(H5N1: 18名が感染し6名死亡)、
2003年の福建省に旅行した香港家族の感染(H5N1: 2名が感染し1名が死亡)、
2003年のオランダにおける防疫従事者の感染(H7N7: 約80名が感染し1名が死亡)
、2004〜2006年のベトナム、タイ、カンボジア、インドネシア、中国、トルコ、エジプト、アゼルバイジャン、イラク等市民の感染(H5N1)等だ。
アジアでH5N1亜型の高病原性鳥インフルエンザウイルスに感染した重症患者では、
肺炎、多臓器不全などの症状が報告されており、オランダでのH7N7亜型感染による軽症者の多くで結膜炎が報告されています
食品としての鶏肉や鶏卵を食べることによって、人が感染した例はない。
また、発生した場合には、発生農場を中心とした半径5〜30Kmの区域にある農場の生産物は、ない。ウイルス検査陰性でないと出荷できなくなり、ウイルス汚染鶏卵や鶏肉が市場に出回ることはない。
防衛省のハシャぎぶりが目に映る。
いちいち総務省にお伺いを立てなくとも米軍ともはなしができ、外国派兵も格上げされた仕事の範囲。
もはや自衛隊の名称変更がなされないと肥大化しす現状に合わない。
「硫黄島からの手紙」が好評でクリント・イーストウッド監督が溜飲を下げていよう。
圧倒的な兵力の米軍と無力な日本軍が対比され繰り返し描かれている
大言壮語する人ほど戦争に参加したか疑問だという。
クリント・イーストウッド監督の米国映画「硫黄島からの手紙」が評判だ。
硫黄島守備隊総司令官の栗林忠道・陸軍中将を渡辺謙が、一兵士の役を二宮和也が好演している
映画の紹介冊子にあるイーストウッド監督の言葉
「前線で死と隣り合わせになって戦った兵士たちは、いくら勲章を受けても戦場のこととなると、口をつぐんでしまう。遠方で操作している輩に限って見てきたような戦話をするのだと後になって知った」
圧倒的な兵力の米軍と無力な日本軍が対比され繰り返し描かれている
それが史実とはいえ心が穏やかでない。
すべての将兵とその家族にとって、戦争に駆り出されること、戦争に送り出すことの理不尽さが伝わる。
世界の軍事費の6割がアメリカである以上イラクを初めとするどこの戦場も同じであろう。
軍事で支配できても、人々の心までは支配できない。
米国の前防衛大臣が訪日する。
2万人増派兵に対する協力要請だ。
軍事省は初仕事ではりきっている。
野党だけでなく共和党の中からもブッシュのイラク戦争に反対が起きている。
ドロ沼化するイラクに日本がまったもや加担しようとしている
日中韓の共同声明ができあがった。
ようやく対話と圧力ができてるのか安倍内閣。
民主党大会が始まるが中国からの来賓もあるようだ。
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鳥インフルエンザ
2007年1月14日京都では一区宮崎、トップジャン!
二区は宗兄弟の猛の娘だ。
ホント名誉回復宮崎ガンバレ!
知事選の選挙カ−の騒音がけたたましく響いてる。
つまりトップ不在である。
その最中にまたもや、全国ニュースが宮崎を揺るがす。
危機管理の責任者不在と泣きっ面にハチ。
宮崎市内より20KMの清武町の黒坂・谷口さんとこの養鶏場である。
法人組織にして順風満帆であったのだが、心配である。
宮崎市の北の佐土原町は宮崎市に編入合併した。
西に隣接する清武町は合併せずそのまま。その西の田野町は宮崎市に合併した。
つまり田野は清武町を挟む飛び地の宮崎市で、清武町が取り残されてる感じだ。
高速道に行くところ源道の左団地は宮崎で右は清武と加納団地なんかは町村境がはっきり7しない。
宮崎大学・国立医大病院は清武町だが、隣接地の東団地は宮崎市。
神様は見てるわなー
茨城県つくば市の動物衛生研究所で詳しく検査した結果、
法定伝染病である高病原性鳥インフルエンザと確認された
病原性の高い「H5」型という
国内では山口・大分・京都・茨城・埼玉に次ぐ鳥インフルエンザの発生となる。
H5型ウイルス 表面のたんぱく質「ヘマグルチニン」(H)の型によって区分され、H7型とともに高病原性鳥インフルエンザに分類される。
表面にあるもう一つのたんぱく質「ノイラミニダーゼ」(N)の型と合わせて毒性の強さが決まる。
人に感染すると肺炎や結膜炎を起こす。
H5型の中でもH5N1型は毒性が強く
03年以来、今月12日までにインドネシアやベトナム、タイ、中国などアジアを中心に計265人が感染、159人が死亡している。
家畜伝染病予防法に基づき、同養鶏場の鶏をすべて焼却処分した上で養鶏場を消毒する。
半径10キロの制限区域内にある他の16農場・約33万羽の鶏に関しては13日から移動制限を始めた。同養鶏場の消毒後、21日間鳥インフルエンザの発生がなければ移動制限は解除される。
ウイルスの侵入ルートは発生国からの鳥の輸入や、渡り鳥の飛来、発生国からの肉や卵の輸入などが考えられ、同省では来週にも疫学調査チームを立ち上げ、ウイルスが国内に入ってきた経緯を調べる
隣国韓国での発生があってから1ヶ月。渡り鳥のカモも含めあちこちに飛来してきている。
8日以降の天気を考えると。風が強く吹いたので飛んできたのかもしれない。
ウイルスである。
ブログもそうだが、危険なものには近づかぬガイイ。ウイルスが潜んでいる危険がある。
ともかく養鶏関係者が集まってはいけない。
対策会議とか、対策のために養鶏場を歩いて注意して廻ると、言うような事は絶対にいけない。
人間が保菌して、感染を広げる事は茨城の事例で、確認されている。
養鶏場への人の出入りは最小限がいい。
出入りする車飼料も要注意。前回は、関西まで来た。この辺の伝播の仕方は結局分からずじまいだった。
宮崎県はブロイラー飼育日本一。処分費も相当な事になる。。
04ねんの山口での発生以来毎年起きている。
自然の中で吸収される為には最低5年は掛かるともいわれる。
WHOは、病原性の高い鳥インフルエンザウイルスと人インフルエンザウイスルが、人に同時に感染し、
体内で遺伝子が混ざり合って突然変異を起こし、強い感染力を持った新型のインフルエンザウイルスが出現する可能性がこれまでになく高まっていると警告を出している。
インフルエンザの流行の歴史をみると、
20世紀に入ってスペインかぜ、アジアかぜ、香港かぜの3回の大きな流行が起こっており、多くの数の死者を出している。
感染経路の確認は大事な作業だ。
インフルエンザの感染ルート。
感染した人がせきやくしゃみをした時に、
飛び散った鼻汁やだ液などの飛沫を吸い込む。
感染した人の体液、血液、排泄物などで汚染された手や、その手が触れたドアノブ、手すり、水道の蛇口などをさわることを通じ、口から感染する。
インフルエンザに感染するとでる、初期症状。
(1) 38度以上の急な発熱
(2) せきなどの呼吸器症状
(3) だるい、食欲がない、関節痛などの全身症状
※ このような症状とともに、新型インフルエンザの流行が伝えられる地域に旅行したか
、患者・感染者と濃厚な接触があった場合は、感染が疑われる。
感染が疑われる方は、保健所に連絡し、マスクを着けて、指定された医療機関に速やかに受診する。
予防法を身につけよう
まずは、むやみに恐れることなく、適切な予防法を身につけ
う。
手洗いをこまめにする。
たとえ手にウイルスがついても、洗い流すことで予防できます。
うがいをする。
マスクをする。
ウイルスが口や鼻などの粘膜につくことを防ぐ意味では有効。
感染している人との接触を避け、海外を含め流行が伝えられる地域には行かない。
感染している人が集まる可能性の高い人ごみ
宮崎は食の宝庫。多くの鳥料理も楽しめる。
地鳥の炭火焼き
チキン南蛮
ポーク南蛮
、オプションで冷や汁は・・・
ただ、のんびりであるので普通の概念をもつと、痛い目に遭いそう。
カルチャーショックを受ける
市内の移動手段はクルマ。
JRは、普通が1〜2時間おき。特急の方がむしろ多い位。
県外に出るときは、鉄道は無いと思ったほうがいい。
高速バスは福岡まで往復6000円もできた。
大分との県境は険しすぎる。
JRで宮崎市内のみの乗車なら、特急券はいらない。
新聞記事から気になるものを見つけた。
カエルの“殺し屋”「ツボカビ」上陸 関東で感染確認
皮膚に寄生し増殖するとカエルやサンショウウオなどの両生類を90%以上の高率で殺す真菌(カビ)「ツボカビ」に感染した例が昨年、関東地方の飼育カエルで国内で初めて確認されていたことが11日、分かった。
ツボカビはオーストラリアや中米などでのカエル激減の主因とされ、世界自然保護基金(WWF)ジャパンや日本野生動物医学会などは13日に「緊急事態宣言」を出す予定。
ツボカビは人間を含む哺乳類や鳥類、爬虫類には感染せず危険はない。しかし、両生類への感染力は強く、ペット用などとして国際取引や移動が増えていることが感染拡大につながっているという。
研究者らは「感染が野外に広がると根絶は不可能。カエルの大量死が引き金となって、他の動物の絶滅につながりかねない」と指摘している。
麻布大(神奈川県)の宇根有美・助教授(獣医学)によると、感染が確認されたのは、国内繁殖とみられる南米原産のカエル複数種。別の外国産カエルを購入して同じ建物で飼い始めたのを契機に発症し、死ぬ例が相次いだ。
水中を泳ぐツボカビの胞子が皮膚に100個程度感染すると、両生類は皮膚呼吸などが阻害され死んでしまう。しかし、野外に出さなければ消毒や治療ができるため、感染してもカエルを飼育し続けることは可能だ。
宇根助教授は「元気がない、皮膚に赤い斑点がある、体表の粘液がおかしい、などの点に注意してほしい」と話し、麻布大のホームページに解説を掲載している。
種の存続に打撃
カエルをはじめとする両生類は約20年前から世界中で減少中だ。その原因としては、環境破壊や化学物質による汚染、感染症、紫外線の増加などが挙げられている。
日本でもカエルの減少傾向は目立っていた。松井正文・京大教授によると、主な理由は、山野の開発や水田の減少であるという。
専門家はツボカビの国内侵入を警戒していたが、輸入種とみられる外国産カエルでついに発症例が出てしまった。衰退傾向にある自然界のカエルたちの間にツボカビ感染が拡大すると、種の存続にかかわる致命的な打撃となりかねない。
感染したカエルの死体を野外に捨ててはならない。飼育していた水からも感染するので、ペットとして飼育している人は、水の処理にも十分な注意が必要だ。
ツボカビは、カエルの皮膚のケラチンというタンパク質を食べて増えるので、感染した個体は皮膚呼吸が妨げられて死に至る。飼育している人は、カエルに異常が見られたらすぐに専門家に相談することが必要だ。
温暖な地方ではこれからヒキガエルなどの繁殖期を迎えるが、この時期には自然死や、車にひかれて死ぬ例がかなりある。それをツボカビ症と間違えて無用の混乱を起こすことは避けたい。
環境省は事態に迅速に対応し、正確な情報普及に努めることが必要だ
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つまりトップ不在である。
その最中にまたもや、全国ニュースが宮崎を揺るがす。
危機管理の責任者不在と泣きっ面にハチ。
宮崎市内より20KMの清武町の黒坂・谷口さんとこの養鶏場である。
法人組織にして順風満帆であったのだが、心配である。
宮崎市の北の佐土原町は宮崎市に編入合併した。
西に隣接する清武町は合併せずそのまま。その西の田野町は宮崎市に合併した。
つまり田野は清武町を挟む飛び地の宮崎市で、清武町が取り残されてる感じだ。
高速道に行くところ源道の左団地は宮崎で右は清武と加納団地なんかは町村境がはっきり7しない。
宮崎大学・国立医大病院は清武町だが、隣接地の東団地は宮崎市。
神様は見てるわなー
茨城県つくば市の動物衛生研究所で詳しく検査した結果、
法定伝染病である高病原性鳥インフルエンザと確認された
病原性の高い「H5」型という
国内では山口・大分・京都・茨城・埼玉に次ぐ鳥インフルエンザの発生となる。
H5型ウイルス 表面のたんぱく質「ヘマグルチニン」(H)の型によって区分され、H7型とともに高病原性鳥インフルエンザに分類される。
表面にあるもう一つのたんぱく質「ノイラミニダーゼ」(N)の型と合わせて毒性の強さが決まる。
人に感染すると肺炎や結膜炎を起こす。
H5型の中でもH5N1型は毒性が強く
03年以来、今月12日までにインドネシアやベトナム、タイ、中国などアジアを中心に計265人が感染、159人が死亡している。
家畜伝染病予防法に基づき、同養鶏場の鶏をすべて焼却処分した上で養鶏場を消毒する。
半径10キロの制限区域内にある他の16農場・約33万羽の鶏に関しては13日から移動制限を始めた。同養鶏場の消毒後、21日間鳥インフルエンザの発生がなければ移動制限は解除される。
ウイルスの侵入ルートは発生国からの鳥の輸入や、渡り鳥の飛来、発生国からの肉や卵の輸入などが考えられ、同省では来週にも疫学調査チームを立ち上げ、ウイルスが国内に入ってきた経緯を調べる
隣国韓国での発生があってから1ヶ月。渡り鳥のカモも含めあちこちに飛来してきている。
8日以降の天気を考えると。風が強く吹いたので飛んできたのかもしれない。
ウイルスである。
ブログもそうだが、危険なものには近づかぬガイイ。ウイルスが潜んでいる危険がある。
ともかく養鶏関係者が集まってはいけない。
対策会議とか、対策のために養鶏場を歩いて注意して廻ると、言うような事は絶対にいけない。
人間が保菌して、感染を広げる事は茨城の事例で、確認されている。
養鶏場への人の出入りは最小限がいい。
出入りする車飼料も要注意。前回は、関西まで来た。この辺の伝播の仕方は結局分からずじまいだった。
宮崎県はブロイラー飼育日本一。処分費も相当な事になる。。
04ねんの山口での発生以来毎年起きている。
自然の中で吸収される為には最低5年は掛かるともいわれる。
WHOは、病原性の高い鳥インフルエンザウイルスと人インフルエンザウイスルが、人に同時に感染し、
体内で遺伝子が混ざり合って突然変異を起こし、強い感染力を持った新型のインフルエンザウイルスが出現する可能性がこれまでになく高まっていると警告を出している。
インフルエンザの流行の歴史をみると、
20世紀に入ってスペインかぜ、アジアかぜ、香港かぜの3回の大きな流行が起こっており、多くの数の死者を出している。
感染経路の確認は大事な作業だ。
インフルエンザの感染ルート。
感染した人がせきやくしゃみをした時に、
飛び散った鼻汁やだ液などの飛沫を吸い込む。
感染した人の体液、血液、排泄物などで汚染された手や、その手が触れたドアノブ、手すり、水道の蛇口などをさわることを通じ、口から感染する。
インフルエンザに感染するとでる、初期症状。
(1) 38度以上の急な発熱
(2) せきなどの呼吸器症状
(3) だるい、食欲がない、関節痛などの全身症状
※ このような症状とともに、新型インフルエンザの流行が伝えられる地域に旅行したか
、患者・感染者と濃厚な接触があった場合は、感染が疑われる。
感染が疑われる方は、保健所に連絡し、マスクを着けて、指定された医療機関に速やかに受診する。
予防法を身につけよう
まずは、むやみに恐れることなく、適切な予防法を身につけ
う。
手洗いをこまめにする。
たとえ手にウイルスがついても、洗い流すことで予防できます。
うがいをする。
マスクをする。
ウイルスが口や鼻などの粘膜につくことを防ぐ意味では有効。
感染している人との接触を避け、海外を含め流行が伝えられる地域には行かない。
感染している人が集まる可能性の高い人ごみ
宮崎は食の宝庫。多くの鳥料理も楽しめる。
地鳥の炭火焼き
チキン南蛮
ポーク南蛮
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市内の移動手段はクルマ。
JRは、普通が1〜2時間おき。特急の方がむしろ多い位。
県外に出るときは、鉄道は無いと思ったほうがいい。
高速バスは福岡まで往復6000円もできた。
大分との県境は険しすぎる。
JRで宮崎市内のみの乗車なら、特急券はいらない。
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カエルの“殺し屋”「ツボカビ」上陸 関東で感染確認
皮膚に寄生し増殖するとカエルやサンショウウオなどの両生類を90%以上の高率で殺す真菌(カビ)「ツボカビ」に感染した例が昨年、関東地方の飼育カエルで国内で初めて確認されていたことが11日、分かった。
ツボカビはオーストラリアや中米などでのカエル激減の主因とされ、世界自然保護基金(WWF)ジャパンや日本野生動物医学会などは13日に「緊急事態宣言」を出す予定。
ツボカビは人間を含む哺乳類や鳥類、爬虫類には感染せず危険はない。しかし、両生類への感染力は強く、ペット用などとして国際取引や移動が増えていることが感染拡大につながっているという。
研究者らは「感染が野外に広がると根絶は不可能。カエルの大量死が引き金となって、他の動物の絶滅につながりかねない」と指摘している。
麻布大(神奈川県)の宇根有美・助教授(獣医学)によると、感染が確認されたのは、国内繁殖とみられる南米原産のカエル複数種。別の外国産カエルを購入して同じ建物で飼い始めたのを契機に発症し、死ぬ例が相次いだ。
水中を泳ぐツボカビの胞子が皮膚に100個程度感染すると、両生類は皮膚呼吸などが阻害され死んでしまう。しかし、野外に出さなければ消毒や治療ができるため、感染してもカエルを飼育し続けることは可能だ。
宇根助教授は「元気がない、皮膚に赤い斑点がある、体表の粘液がおかしい、などの点に注意してほしい」と話し、麻布大のホームページに解説を掲載している。
種の存続に打撃
カエルをはじめとする両生類は約20年前から世界中で減少中だ。その原因としては、環境破壊や化学物質による汚染、感染症、紫外線の増加などが挙げられている。
日本でもカエルの減少傾向は目立っていた。松井正文・京大教授によると、主な理由は、山野の開発や水田の減少であるという。
専門家はツボカビの国内侵入を警戒していたが、輸入種とみられる外国産カエルでついに発症例が出てしまった。衰退傾向にある自然界のカエルたちの間にツボカビ感染が拡大すると、種の存続にかかわる致命的な打撃となりかねない。
感染したカエルの死体を野外に捨ててはならない。飼育していた水からも感染するので、ペットとして飼育している人は、水の処理にも十分な注意が必要だ。
ツボカビは、カエルの皮膚のケラチンというタンパク質を食べて増えるので、感染した個体は皮膚呼吸が妨げられて死に至る。飼育している人は、カエルに異常が見られたらすぐに専門家に相談することが必要だ。
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猪年
2007年1月13日志ん朝亡き後の落語家は、談志、円楽が楽しみのお噺の一席だが、協会、芸協に属してないので寄席での高座は楽しめない。
円楽師匠は病気からの引退をほのめかしてたが、このほど二月に独演会をやるそうだ
エトからして「定九郎」あたりが高座にかかるのではなかろうか。
仮名手本忠臣蔵の五段目はかっては盛り上がりにかけるため弁当を開いた。
弁当幕と揶揄された。いまの華のある五段目にしたのが、中村仲蔵。(だったと思う)
歌舞伎に詳しき若子さんのブログに頼りたい。
備忘録として新聞から残すとこうである。
五段目のストリーリ
早野勘平の舅(しゅうと)、与市兵衛は山賊定九郎に殺され、定九郎は勘平が猪を狙って撃った鉄砲の弾に当たって死に、勘平はいろいろあって切腹し…と、正月の話題にはあまり向かない。
「五段目で運のいいのは猪(しし)ばかり」と古川柳にある
昔から猪には火難を避ける御利益があるとされ、江戸の豪商などには飼う家もあったという。
陰陽思想によると十二支の亥(い)が「水」にあたるためで、
山崎街道の猪が雨の幕に守られて銃火を逃れたとすれば、これも水運には違いない
九州一の火の神様の宇納間さまはそういえば九州山地の山中にあり、猪がたむろする。
火消しの才をもつ今年の干支(えと)
キナ臭き軍拡の動きに出番を求めたい。
民主党のテレビCMがいい。
嵐の中の船を小沢党首が吹き飛ばされるのを管、鳩山が支える
忙中閑間あり
御所を中心に街全体が神社仏閣で包まれてる街京。
小京都の名を持つ街は全国に点在する。
護王神社は祭神の和気清麻呂を祭り、御所の蛤御門の前に位置している。
拝殿の前には狛犬(こまいぬ)のかわりに雌雄一対の狛イノシシが置かれている
なぜイノシシかを故事賀伝える。
8世紀のこと和気清麻呂が京から宇佐へ向かう道中、どこからともなく300頭ものイノシシが現れ、清麻呂を守護したという。
その故事から、狛イノシシが護王神社のシンボルとして親しまれるようになった
亥年(いどし)の今年はとりわけ、初詣でに人気が高いことであろう。
狛イノシシばかりか境内には願かけイノシシの石像もある。
イノシシを描いた大きな絵馬も掲げられている
イノシシの守護で清麻呂が悩んでいた足なえも治ったといわれる。
その足腰の健康を祈願する位置も足形で定められている。
ここで手にいる禅僧の墨跡にイノシシの図をあしらったカレンダー
表紙には〈強毅而勁直〉とある。
韓非子の〈能法の士は必ず強毅(きょうき)にして勁直(けいちょく)なり〉からとった言葉。
よく法を守り行う人は必ず強く、まっすぐだということ
〈強毅勁直〉は〈猪突猛進〉より安定感がある。
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円楽師匠は病気からの引退をほのめかしてたが、このほど二月に独演会をやるそうだ
エトからして「定九郎」あたりが高座にかかるのではなかろうか。
仮名手本忠臣蔵の五段目はかっては盛り上がりにかけるため弁当を開いた。
弁当幕と揶揄された。いまの華のある五段目にしたのが、中村仲蔵。(だったと思う)
歌舞伎に詳しき若子さんのブログに頼りたい。
備忘録として新聞から残すとこうである。
五段目のストリーリ
早野勘平の舅(しゅうと)、与市兵衛は山賊定九郎に殺され、定九郎は勘平が猪を狙って撃った鉄砲の弾に当たって死に、勘平はいろいろあって切腹し…と、正月の話題にはあまり向かない。
「五段目で運のいいのは猪(しし)ばかり」と古川柳にある
昔から猪には火難を避ける御利益があるとされ、江戸の豪商などには飼う家もあったという。
陰陽思想によると十二支の亥(い)が「水」にあたるためで、
山崎街道の猪が雨の幕に守られて銃火を逃れたとすれば、これも水運には違いない
九州一の火の神様の宇納間さまはそういえば九州山地の山中にあり、猪がたむろする。
火消しの才をもつ今年の干支(えと)
キナ臭き軍拡の動きに出番を求めたい。
民主党のテレビCMがいい。
嵐の中の船を小沢党首が吹き飛ばされるのを管、鳩山が支える
忙中閑間あり
御所を中心に街全体が神社仏閣で包まれてる街京。
小京都の名を持つ街は全国に点在する。
護王神社は祭神の和気清麻呂を祭り、御所の蛤御門の前に位置している。
拝殿の前には狛犬(こまいぬ)のかわりに雌雄一対の狛イノシシが置かれている
なぜイノシシかを故事賀伝える。
8世紀のこと和気清麻呂が京から宇佐へ向かう道中、どこからともなく300頭ものイノシシが現れ、清麻呂を守護したという。
その故事から、狛イノシシが護王神社のシンボルとして親しまれるようになった
亥年(いどし)の今年はとりわけ、初詣でに人気が高いことであろう。
狛イノシシばかりか境内には願かけイノシシの石像もある。
イノシシを描いた大きな絵馬も掲げられている
イノシシの守護で清麻呂が悩んでいた足なえも治ったといわれる。
その足腰の健康を祈願する位置も足形で定められている。
ここで手にいる禅僧の墨跡にイノシシの図をあしらったカレンダー
表紙には〈強毅而勁直〉とある。
韓非子の〈能法の士は必ず強毅(きょうき)にして勁直(けいちょく)なり〉からとった言葉。
よく法を守り行う人は必ず強く、まっすぐだということ
〈強毅勁直〉は〈猪突猛進〉より安定感がある。
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失業なき国
2007年1月12日夕張を象徴的にマスコミが報道するのは、為政者の政治的意図を感ずる。
かって10万人を誇った夕張炭鉱の町の住人は1/10になり、さらに加速度的に人口流出が続こう。
300億近い投資のレジャー施設群は閉鎖されたまま佇んでいる。
炭鉱から観光への脱皮は総人口が限定されてる中では投資と維持存続に限界がある。
リゾート法適用第一号の宮崎シーガイヤの失敗を経験してるので、他人事ではない。
のんびりした風景にミスマッチの豪華施設は全国に見受けられ、宮崎も夕張に負けない。
財政破綻が表面化しないだけで、合併の特例s債で破綻を先延ばししてるだけ。傷はどこも深まってる
宮崎市内でさえ点在する、水、歴史、宇宙、花の館と管理職員だけが目立つ閑古鳥を養うのみの館がある。
休日中さえ大勢が押しかけるとはお世辞にもいえない展示物。
豪華なハコモノ行政は県内くまなく点在する。。
たとえば、山之口は中核・都城に合併したが、特例債での破産の先送り。
人形の屋形館、弥五郎ドンの館にヒト気はない。
全国ベストテン「とろみの湯」は何とか人を見受ける。
高齢者の田舎町ゆえのことであるが、ただ、豪華すぎる建物は寄り付きがたく、
江戸元禄期の繁栄は交易の拠点の沿岸地の旧街に見られる。
「美々津」は初代・神武天皇が奈良に向かい船出したロマン溢れた由緒ある地の港町
畿内大阪との取引先として、林産物を廻んだ。
河口には、海軍発祥の地の記念碑が建つ。
廻船問屋や商家が立ち並び廻船業に従事した船員や船大工で賑わい、隆盛を極めた。
「美々津千軒」の華やかな時代の面影を偲べる。
立磐神社南方にある稲荷町は芸者さんが多く居住した色町。
街全部が国の伝統的建物群保存地区で情緒豊かな雰囲気。
産業と街の盛衰とは50年、100年単位の時代の流れとともにある。
かって繁栄を極めた歴史ある街も大正12年日豊本線の全線開通で廻船業が衰退
栄枯のうつろいを街並み祠に見て取れる。
廃藩置県で城跡が県庁になった。
ただ、宮崎県と北海道だけはそうでなかった。
この美々津に宮崎県庁は置かれた。
街・都市の永続的な産業は国家政策にゆだねるが、安易に、経済のし好する傾向を持つ。
とりわけ、軍需産業ほどそれを色濃く持っている、
基幹企業の元に、アリが蜜を求めるが如く群がる
資本はさらなる再投資され、拡大再生産が繰り返される。
利益追求手段は政治家群さえ構成し国家予算さえ有効なる投資にと軍需産業が指令する。
不況なき、安定産業の拡大再生産は世界を視野に死の商人を介在させたマーケットを拡大していく。
政治にそれを付託した国民は、政治家に厳しくそれを迫る。
死の商人の蔓延化で、殺人兵器は全世界にばら撒かれる。
パワーミニタリーバランスの究極は大量破壊兵器の核の国家技術を目指す。
米ソ冷戦は地球を二分して微妙に成り立ち、核拡散を防ぎ、軍縮さえ、協議実施されてきた。
いま世界の覇権は米国に握られ、軍事を背景にした圧力で、世界の国家指導者を醸成させる。
民主主義の大義さえ投げ捨てての疾風怒濤の狂乱振りは、産軍複合国家の本性をむき出しにしている。
日本が急速に国民世論も含めて、軍事し好に流れるのは、この世界の潮を見てるからであろう。
国家体制の再編は、この狭き島国の国内のさらなる田舎・大都市の格差を深めていこう。
さらなる田舎から都市への人口流出を招く。
都市が生き残れるのは、効率化列島をもくろむ。
為政者は44都道府県の効率化法制化した。
道州制特区の実施である。
昨年は市町村合併を推し進めた合併元年であった。
今後は急ピッチで虚突のスピードで各県の実質上の合併が進められ自治権が完全に放棄されよう。
国民はこぞって、軍を背景にした、アジアの覇権を賭け、政治経済の一体化で、繁栄を謳歌を目指す。
産軍複合化は国家行政のスリム化を迫り、その行政改革を支持しない国民はいない。
よって国民覚醒にはもってこいのテーマ。
ただ、削減された経費は軍需の中に消えていくのみでなんらの繁栄をもたらさない、
産軍複合化は一人歩きしだし、成長なき産業となるだけであるのは,歴史が指し示すとおりで歴史的必然である。
夕張の報道の異常さに見え隠れするのはいずれわが町のこととなろう。
国民こぞって死の商人の経済に組み込まれるそのことは夕張のことそのもである。
究極の経済とは・・
国民徴兵、失業なき繁栄する産軍複合国家。
わが町あの町
軍事省発足で肥大化する軍事産業。
「北」の核などなにするものぞ!
圧力と対話というけれど、対話なしの日本政府の詭弁
どこにいる!男・山拓 一人いく
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かって10万人を誇った夕張炭鉱の町の住人は1/10になり、さらに加速度的に人口流出が続こう。
300億近い投資のレジャー施設群は閉鎖されたまま佇んでいる。
炭鉱から観光への脱皮は総人口が限定されてる中では投資と維持存続に限界がある。
リゾート法適用第一号の宮崎シーガイヤの失敗を経験してるので、他人事ではない。
のんびりした風景にミスマッチの豪華施設は全国に見受けられ、宮崎も夕張に負けない。
財政破綻が表面化しないだけで、合併の特例s債で破綻を先延ばししてるだけ。傷はどこも深まってる
宮崎市内でさえ点在する、水、歴史、宇宙、花の館と管理職員だけが目立つ閑古鳥を養うのみの館がある。
休日中さえ大勢が押しかけるとはお世辞にもいえない展示物。
豪華なハコモノ行政は県内くまなく点在する。。
たとえば、山之口は中核・都城に合併したが、特例債での破産の先送り。
人形の屋形館、弥五郎ドンの館にヒト気はない。
全国ベストテン「とろみの湯」は何とか人を見受ける。
高齢者の田舎町ゆえのことであるが、ただ、豪華すぎる建物は寄り付きがたく、
江戸元禄期の繁栄は交易の拠点の沿岸地の旧街に見られる。
「美々津」は初代・神武天皇が奈良に向かい船出したロマン溢れた由緒ある地の港町
畿内大阪との取引先として、林産物を廻んだ。
河口には、海軍発祥の地の記念碑が建つ。
廻船問屋や商家が立ち並び廻船業に従事した船員や船大工で賑わい、隆盛を極めた。
「美々津千軒」の華やかな時代の面影を偲べる。
立磐神社南方にある稲荷町は芸者さんが多く居住した色町。
街全部が国の伝統的建物群保存地区で情緒豊かな雰囲気。
産業と街の盛衰とは50年、100年単位の時代の流れとともにある。
かって繁栄を極めた歴史ある街も大正12年日豊本線の全線開通で廻船業が衰退
栄枯のうつろいを街並み祠に見て取れる。
廃藩置県で城跡が県庁になった。
ただ、宮崎県と北海道だけはそうでなかった。
この美々津に宮崎県庁は置かれた。
街・都市の永続的な産業は国家政策にゆだねるが、安易に、経済のし好する傾向を持つ。
とりわけ、軍需産業ほどそれを色濃く持っている、
基幹企業の元に、アリが蜜を求めるが如く群がる
資本はさらなる再投資され、拡大再生産が繰り返される。
利益追求手段は政治家群さえ構成し国家予算さえ有効なる投資にと軍需産業が指令する。
不況なき、安定産業の拡大再生産は世界を視野に死の商人を介在させたマーケットを拡大していく。
政治にそれを付託した国民は、政治家に厳しくそれを迫る。
死の商人の蔓延化で、殺人兵器は全世界にばら撒かれる。
パワーミニタリーバランスの究極は大量破壊兵器の核の国家技術を目指す。
米ソ冷戦は地球を二分して微妙に成り立ち、核拡散を防ぎ、軍縮さえ、協議実施されてきた。
いま世界の覇権は米国に握られ、軍事を背景にした圧力で、世界の国家指導者を醸成させる。
民主主義の大義さえ投げ捨てての疾風怒濤の狂乱振りは、産軍複合国家の本性をむき出しにしている。
日本が急速に国民世論も含めて、軍事し好に流れるのは、この世界の潮を見てるからであろう。
国家体制の再編は、この狭き島国の国内のさらなる田舎・大都市の格差を深めていこう。
さらなる田舎から都市への人口流出を招く。
都市が生き残れるのは、効率化列島をもくろむ。
為政者は44都道府県の効率化法制化した。
道州制特区の実施である。
昨年は市町村合併を推し進めた合併元年であった。
今後は急ピッチで虚突のスピードで各県の実質上の合併が進められ自治権が完全に放棄されよう。
国民はこぞって、軍を背景にした、アジアの覇権を賭け、政治経済の一体化で、繁栄を謳歌を目指す。
産軍複合化は国家行政のスリム化を迫り、その行政改革を支持しない国民はいない。
よって国民覚醒にはもってこいのテーマ。
ただ、削減された経費は軍需の中に消えていくのみでなんらの繁栄をもたらさない、
産軍複合化は一人歩きしだし、成長なき産業となるだけであるのは,歴史が指し示すとおりで歴史的必然である。
夕張の報道の異常さに見え隠れするのはいずれわが町のこととなろう。
国民こぞって死の商人の経済に組み込まれるそのことは夕張のことそのもである。
究極の経済とは・・
国民徴兵、失業なき繁栄する産軍複合国家。
わが町あの町
軍事省発足で肥大化する軍事産業。
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非軍事の国
2007年1月11日アップロードしたものが消えるとどうにも二度目の表現は力が抜けるが記憶の限り再現した。
中間選挙の敗北さえ懲りないブッシュはイラクへの2万人増派を発表。民主党からの反対が起きている。
英国・豪州も撤退をしてるのに逆行。
日本のみが賛辞を寄せている。
いま平和国家に自信を失いつつある日本世論は危険な空白状況にある。
もう一度武力に頼らない国作りの議論が必要のようである。
にわかに売れ行きの伸びてる著書がある。
『非武装中立論』は、石橋政嗣元社会党委員長が昭和55年に出版した。
米ソ、対立の中で世界の政治は動いた時期。
アメリカ一国の覇権の今日の世界政治状況と違ってはいた。
、
戦後62年恒久平和のもとでの国民生活は世界を驚かす急激なる経済成長ぶりに示されている
戦後の民主主義そこには独特の意味が込められていた。
国際社会の冷戦では自由民主主義VS共産主義が思想的対立基軸だった、
日本の保守・革新の対立はそれとは微妙にズレていた。
共産主義とは対立しない形で、「戦後民主主義」の担い手たる「革新」が措定されたのである。
保・革対立は「国内冷戦」とも呼ばれたが、そこでは「戦後民主主義」からの国際政治論が両者を分かつ最大争点となった。
自由民主党に相対立する日本社会党は軍事のあり方に明確なる党是を持っていた。
、自衛隊や日米安保条約の存在を認めないとの明確なる立場からいう。
「周囲を海に囲まれた日本は、自らが紛争の原因をつくらない限り、他国から侵略されるおそれはない」。
それでももし、攻めてくる国があったらどうするのか。
抵抗の手段はいろいろあるという。
デモ、ハンストから非協力、ゼネストまで。
防衛は米国の傘の下に任せ、ひたすら経済の繁栄を謳歌。エコノミックアニマルと形容された。
関嘉彦・森嶋通夫論争は『文藝春秋』誌上で行われた。
これを検証してみると平和国家の軍事のあり方の高邁さが理解できる。
ガンジーの非暴力に繋がる高邁なる考え方である。
『文藝春秋』での論争がなされたのは、ソ連のアフガニスタン侵攻の数ケ月前
、一九七六年のミグ事件、一九七八年の栗栖弘臣・統合幕僚会議議長の「超法規」発言の後で、有事や防衛への関心が高まってきていた時期であった。
関・森嶋論争は読者の反響が大きく、翌年の文藝春秋読者賞を受けた。
、
森嶋
日本は文化交流、経済協力など「ソフトウェア」で国を守る途を探るべきだとし、「不幸にして最悪の事態が起これば、白旗と赤旗をもって、平静にソ連軍を迎えるより他にない」
関
「共産主義の国はその思想に基づく支配を拡大するため、機会があれば武力侵略をしないとは限らない、それで日本も自ら国を守るための武力を整え、足りない所は……アメリカとの同盟により補うべし」。
森嶋
核兵器の時代に通常兵器で武装しても、核兵器で攻撃されればひとたまりもなく、
「玉砕が無意味というなら降参ということになるが、降参するなら軍備はゼロで充分」。
「万が一にもソ連が攻めて来た時には自衛隊は毅然として、秩序整然と降伏するより他ない。
徹底抗戦して玉砕して、その後に猛り狂ったソ連軍が殺到して惨憺たる戦後を迎えるより、秩序ある威厳に満ちた降伏をして、その代り政治的自決権を獲得した方が、ずっと賢明だ」
「白旗と赤旗をもって、平静にソ連軍を迎える」というのだ。
この主張は、社会党の非武装中立論そのもではないのか。。
森嶋は
人間の行動は状況に非常に影響される」ので、ソ連兵も、日本が毅然たる降伏さえすれば、かつて満州で見られたような掠奪暴行の限りをつくすようなことはない、とした。
関
「現在ソ連に占領されて政治的自決権を獲得している国が存在するであろうか」。
「何らの犠牲なしに占領できるだろうと知ったなら」、すぐ占領に出てくる国があるだろうし、
そうなれば「他の国も対抗上」、占領に出てくるだろう。
そして「占領国同士の間で、日本国内での戦争がおこる可能性も多い」とした。
戦後日本では外国の占領を軽く見る風潮は消えない。
占領体験が一度しかなくそれがアメリカによる寛大な占領だったため、わが国では外国による占領の何たるかがよく認識されないでいるのである。
文民統制の問題
、森嶋
「増強した軍が暴走して昔の軍人統制の時代に復帰してしまう」危険を説いた。
関
「私の考える文民統制の基盤というのは、現憲法の規定するような議会制民主主義の徹底と、社会的公正の拡大」
「民主主義の歴史が短い割には、かなり成功してきたと思う」
自衛隊の海外活動が本来任務に格上げされいよいよ堂々と海外にまで軍事的力をこぶしテイクわが軍。
森嶋 通夫、1923年7月18日 - 2004年7月13日)は経済学者。大阪府生まれ。LSE(London School of Economics)名誉教
授・元LSE Sir John Hicks Professor。大阪大学名誉教授。イギリス学士院会員。
関 嘉彦(、1912年11月19日 - 2006年5月4日)は、昭和・平成期の社会思想史家。東京都立大学名誉教授。法学博士(京都大学)。元参議院議員。イギリス労働党の日本における紹介者として知られる。
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中間選挙の敗北さえ懲りないブッシュはイラクへの2万人増派を発表。民主党からの反対が起きている。
英国・豪州も撤退をしてるのに逆行。
日本のみが賛辞を寄せている。
いま平和国家に自信を失いつつある日本世論は危険な空白状況にある。
もう一度武力に頼らない国作りの議論が必要のようである。
にわかに売れ行きの伸びてる著書がある。
『非武装中立論』は、石橋政嗣元社会党委員長が昭和55年に出版した。
米ソ、対立の中で世界の政治は動いた時期。
アメリカ一国の覇権の今日の世界政治状況と違ってはいた。
、
戦後62年恒久平和のもとでの国民生活は世界を驚かす急激なる経済成長ぶりに示されている
戦後の民主主義そこには独特の意味が込められていた。
国際社会の冷戦では自由民主主義VS共産主義が思想的対立基軸だった、
日本の保守・革新の対立はそれとは微妙にズレていた。
共産主義とは対立しない形で、「戦後民主主義」の担い手たる「革新」が措定されたのである。
保・革対立は「国内冷戦」とも呼ばれたが、そこでは「戦後民主主義」からの国際政治論が両者を分かつ最大争点となった。
自由民主党に相対立する日本社会党は軍事のあり方に明確なる党是を持っていた。
、自衛隊や日米安保条約の存在を認めないとの明確なる立場からいう。
「周囲を海に囲まれた日本は、自らが紛争の原因をつくらない限り、他国から侵略されるおそれはない」。
それでももし、攻めてくる国があったらどうするのか。
抵抗の手段はいろいろあるという。
デモ、ハンストから非協力、ゼネストまで。
防衛は米国の傘の下に任せ、ひたすら経済の繁栄を謳歌。エコノミックアニマルと形容された。
関嘉彦・森嶋通夫論争は『文藝春秋』誌上で行われた。
これを検証してみると平和国家の軍事のあり方の高邁さが理解できる。
ガンジーの非暴力に繋がる高邁なる考え方である。
『文藝春秋』での論争がなされたのは、ソ連のアフガニスタン侵攻の数ケ月前
、一九七六年のミグ事件、一九七八年の栗栖弘臣・統合幕僚会議議長の「超法規」発言の後で、有事や防衛への関心が高まってきていた時期であった。
関・森嶋論争は読者の反響が大きく、翌年の文藝春秋読者賞を受けた。
、
森嶋
日本は文化交流、経済協力など「ソフトウェア」で国を守る途を探るべきだとし、「不幸にして最悪の事態が起これば、白旗と赤旗をもって、平静にソ連軍を迎えるより他にない」
関
「共産主義の国はその思想に基づく支配を拡大するため、機会があれば武力侵略をしないとは限らない、それで日本も自ら国を守るための武力を整え、足りない所は……アメリカとの同盟により補うべし」。
森嶋
核兵器の時代に通常兵器で武装しても、核兵器で攻撃されればひとたまりもなく、
「玉砕が無意味というなら降参ということになるが、降参するなら軍備はゼロで充分」。
「万が一にもソ連が攻めて来た時には自衛隊は毅然として、秩序整然と降伏するより他ない。
徹底抗戦して玉砕して、その後に猛り狂ったソ連軍が殺到して惨憺たる戦後を迎えるより、秩序ある威厳に満ちた降伏をして、その代り政治的自決権を獲得した方が、ずっと賢明だ」
「白旗と赤旗をもって、平静にソ連軍を迎える」というのだ。
この主張は、社会党の非武装中立論そのもではないのか。。
森嶋は
人間の行動は状況に非常に影響される」ので、ソ連兵も、日本が毅然たる降伏さえすれば、かつて満州で見られたような掠奪暴行の限りをつくすようなことはない、とした。
関
「現在ソ連に占領されて政治的自決権を獲得している国が存在するであろうか」。
「何らの犠牲なしに占領できるだろうと知ったなら」、すぐ占領に出てくる国があるだろうし、
そうなれば「他の国も対抗上」、占領に出てくるだろう。
そして「占領国同士の間で、日本国内での戦争がおこる可能性も多い」とした。
戦後日本では外国の占領を軽く見る風潮は消えない。
占領体験が一度しかなくそれがアメリカによる寛大な占領だったため、わが国では外国による占領の何たるかがよく認識されないでいるのである。
文民統制の問題
、森嶋
「増強した軍が暴走して昔の軍人統制の時代に復帰してしまう」危険を説いた。
関
「私の考える文民統制の基盤というのは、現憲法の規定するような議会制民主主義の徹底と、社会的公正の拡大」
「民主主義の歴史が短い割には、かなり成功してきたと思う」
自衛隊の海外活動が本来任務に格上げされいよいよ堂々と海外にまで軍事的力をこぶしテイクわが軍。
森嶋 通夫、1923年7月18日 - 2004年7月13日)は経済学者。大阪府生まれ。LSE(London School of Economics)名誉教
授・元LSE Sir John Hicks Professor。大阪大学名誉教授。イギリス学士院会員。
関 嘉彦(、1912年11月19日 - 2006年5月4日)は、昭和・平成期の社会思想史家。東京都立大学名誉教授。法学博士(京都大学)。元参議院議員。イギリス労働党の日本における紹介者として知られる。
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シビリアン・コントロール
2007年1月10日巨大な国家予算を背景にした軍事省が発足したが、後はシビリアン・コントロールに頼るしかない。
とりわけ各種大臣・高官の文民統制への意欲が必要となろう。
果たして信頼に足りうるのか。
年末押し迫った26日 佐田行政改革担当大臣が7000万円の資金使途不明金について辞任した
架空支出の全容は全く解明されておらず、佐田議員が説明責任を果たしたとは到底言えない
辞任をもって臭いものに蓋でのトカゲのシッポ切りで任命責任者責任を果たしていない。
前任者を無理して解任し新政府税制会長を任命したが、ハレンチ罪で退任した直後でもある。
独特の語り部政治家であったミッチーこと渡辺美智雄の息子の新大臣認証に自民党幹事長が国内にいなく、立ち会わなかったのは初めてのことであろう。
政務での外遊中?
それがお笑いだ。・・お笑い?・・否!断じて否!この売国奴!
真剣に国事に取り組め!
当の本人は気楽なもので、夫婦でのウィーン・ニュー・イヤーコンサートの私的行事をキャンセルせず国事を放棄した。
オペラ鑑賞などに興じきった地位利用の小泉どこではない。
復党問題で踏み絵さえ踏ませる歪なことをする資格があるのか。
平沼議員のように復党を選ばず、無所属を貫くほうがよっぽど政治家としては資質が高邁である。
内閣府のトップたる安倍はもっと酷く当日アグネス・チャンのホームパーティーで興じてる様は、
ディズニーランドまで来て遊ぶ「北」の将軍様の息子と同程度の国家責任意識ではないのか。
タウンミーティングでのやらせ問題、郵政造反組の復党問題、本間政府税制調査会長の辞任、そして佐田辞任、安倍総理は指導力の欠如と頼りなさを露呈させ、国民の政治不信を日に日に増大させ続けている。
元防衛庁長官の衛藤征士郎衆院議員(65=大分2区)のウラ献金疑惑が浮上した。
公設第1秘書(57)が地元建設業者から冊子の購読料名目で04年までの9年間に1億4000万円以上を集めていた。
私設秘書だった96年、情報サービス会社を設立。
冊子を毎月発行し、大分県の地元事務所を通じて建設業者に買わせていた。
その冊子というのが、インターネットで官公庁の発表資料などを丸写ししただけの粗末な内容。なのに「購読料」は月5万〜20万円と破格で、年1600万円〜2千数百万円を集金していた
。議員本人は「秘書の個人ビジネスで問題はない」などと逃げている
資金は議員側に流れており、政治家個人への企業献金を禁じた政治資金規正法に抵触する疑いが持たれている。
久間初代防衛大臣にいたってはスキャンダラスの話題は書ききれない。
週刊新潮が報道した、赤坂の韓国クラブに入り浸って今日も泥酔いることを
偽メール事件以来尻つぼみ気味で小沢民主も舌鋒が劣っている。
NHKに押し込んだ身内については他だってやってるじゃァないか程度の認識なんだろうか。
NHKコネ入社就職は二世議員の予備軍なんであろうか。
久間初代防衛大臣の娘・PD
片山元総務相の息子・社会部記者皇室担当
松岡利勝の息子・アナ
高村正彦の娘・経理
村田防災相の娘・PD
上杉元自治相の息子・PD
田野瀬良太郎の息子・元PD
石川要三の息子・PD
故・原田昇左右の息子・元衛星番組部長(現国会議員)
柿沢弘治の長男・元記者(現都議会議員)
羽田孜の弟・報道
竹下登元総理の弟・元記者
ついで。猪瀬直樹の娘・PD
会長就任後に 現・橋本会長の娘
初代久間大臣は国家安全保障への認識あまりに低い
北朝鮮の核実験実施について
「核実験をやっただけでは周辺事態認定にならない。緊張状態が高まってくれば認定できる」と述べた。
初代久間大臣の発想だと“核ミサイル”が完成したと判明したのちに周辺事態に認定するというのか。
「北」はそれを武器に新たな脅迫をしてくることは間違いない。「周辺事態認定や国連の制裁決議を解除しなければ撃つぞ」とこられた時、久間大臣はどうするのか。
イラク戦争について
「政府は米国の戦争を支持すると公式に言ったわけではない」(7日)と述べた。
小泉前首相が個人的に支持したと思い込んでいたようだが、翌日「認識不足だった」と発言を撤回した。
発言の間違いや撤回をあげつらうつもりはないが、この勘違いはあまりにも重大である。
せきやんブログの 日中・再び・・戦争突入!2006年9月28日を再読してもらいたい。
ワシントンの政策研究所であるAEI(アメリカン・エンタープライズ・インスティテュート)が主催して、
国会裏のキャピトル東急で開かれた日米会合
、「日本と中国を、どのようにして戦争に突入させるか、そのプラン作り」に久間初代防衛大臣も参加している。
メンバーは「戦争屋」と「死の商人」の談合というところ。
南青山の地上げ案件で国会質問した国民新党・糸川代議士が脅された件、
背後に「小泉内閣の元閣僚秘書」とか書かれている。で、探した
ら実名が出てきた。
大野元防衛庁長官の政策秘書と、岩永峯一元農水大臣の長男兼秘書。更にその背後には初代久間大臣やケケ中の名前もあがっている。
久間初代防衛大臣と日本道路公団傘下企業との緊密さを物語るビデオ出回る
、日本道路公団から多くの仕事を受注しているA社(大阪市)との緊密さを物語るビデオが一部社会部記者等の間で出回り、物議を醸している。
、静岡県浜名湖の某ホテルで開催された「久間章生先生を囲む旅行会」と題する会合の様子を撮影したもの。
「囲む会」というと、多方面の関係者が集まっているように思いがちだが、主催したのは道路公団から多くの仕事を受注しているA社で、参加者もA社のほぼ全社員のみ。
そして、そこに参加したのは久間代議士だけではない。
主賓として、秘書、防衛庁長官秘書官、久間氏の後援会「久生会」の事務局長、事務局幹部まで揃って招かれ、紹介されている。
そして、久生会事務局幹部氏はその場で、A社顧問もしていると紹介されている。
そして、何より異様なのは、特定の企業に「大臣賞」なる盾が用意され、久間氏自らがA社社員に手渡している事実。
というのも、手渡された社員は、A社社長に社員として優秀としてその場で表彰を受けた者なのだ。
要するに、公人たる大臣が、その地位でもって用意した「大臣賞」なる盾を、一私企業に寄与した者に渡しているのだ。
「特別優秀賞」をもらった社員など、日本道路公団の某工事を受注したと、社長からその場で褒め称えられて賞状と金一封を受け取り、その次に久間氏が「大臣賞」盾を手渡すという露骨さだ。
初代久間大臣「暴力団組長と長官室で撮った写真」
この不逞の輩初代久間大臣どもに恐ろしく成長していく軍隊がコントロールできるのか。
政治の不信・空洞化は他国の例や歴史の教訓化では軍事クーデターを招く。
山拓こと山崎拓議員が9日、北京経由で北朝鮮に入る。
平壌では要人との会談もセットされているようだ。
政治信念に燃えたその粋やよし。かってのYKKの政治活動同志の2回目の小泉訪朝の筋道をつけた自負があり、
「おれが行って核と拉致の糸口をつけてやる」という意気込みが感じられる。
それにしてもこの時期の訪朝はまったくもって奇怪。
自分勝手な山拓訪朝に安倍・官邸も「2元外交だ」と不快感を示している。
では拉致担当のわが宮崎の中山首相補佐官の立場や外務大臣などは何をしてるのかとなる。
ただし、そこはそれ、山拓が何らかの成果を上げれば、
「山崎氏からこんな報告があったので」との安倍の打算。
タカ派安倍と言うが方向性のない政治が見え隠れする主体性なしのアメリカ依存。
防衛省が9日誕生した訳だが単なる看板の掛け替えとはワケが違う。
自衛隊が陸軍、海軍、空軍になることであり、自衛隊の海外派遣が本来任務となる。
この国の防衛・軍事政策は急転換を迫られる。
この先、軍事予算がどんどん膨張し続け、GNP1パーセント枠は
軍隊に踏みにじられていくkとは明カッだ。
制服組が防衛大臣になって、シビリアンコントロール・文民統制もきかなくなろう。
さらに隊員の数が足りないので韓国のように徴兵制が敷かれよう。
外務省と防衛省が同格ではアメリカとのやり取りはどちらがするのか。
専守防衛も変わる。海外の活動も格上げされるが、一人歩きしないのか。
歯止めはないし、チlック機能が働くはずがない。
久間章生防衛庁長官は3日夕、バンコク市内で同行記者団に対し、防衛施設庁を今年9月1日付で廃止する方針を表明、それに併せた組織改編案を明らかにした。
在日米軍再編への取り組みを強化するため、大臣官房に「米軍再編調整官」と担当の審議官を新設。また、(1)米国との防衛協力の在り方やミサイル防衛(MD)に関する連絡調整を担う日米防衛協力課(2)朝鮮半島情勢、中国の台頭、米国の世界戦略などの中長期的研究を行う戦略企画室−も設置する。談合事件の再発防止策として「防衛監察本部」を新たに整備する。
地方組織では、札幌、仙台、東京、横浜、大阪、広島、福岡、那覇の各防衛施設局を「防衛局」とし、防衛省に新設する「地方企画局」の管理下に置く。
自衛隊に新たな階級を2つ創設することも検討。現在は上位から、将、将補、一〜三佐、一〜三尉、准尉、曹長、一〜三曹、士長、一〜
三士となっているが、
(1)将補の下に諸外国にある「准将」(2)曹長の上に「上級曹長」−を設ける構想を示した。
防衛施設庁は、昨年12月に成立した防衛「省」昇格関連法の付則で平成19年度中の廃止が明記されていた。(共同)
(2007/01/03 )
外務省さえ無視してすでに防衛省が突出している事例だ。
米軍移転3兆円も外務省虫で防衛庁が決めていったとの無謀振りが伝え聞く。
軍隊が一人歩くのは既に行われてきたこと。
群
軍を抑えることはできるはずがない。
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とりわけ各種大臣・高官の文民統制への意欲が必要となろう。
果たして信頼に足りうるのか。
年末押し迫った26日 佐田行政改革担当大臣が7000万円の資金使途不明金について辞任した
架空支出の全容は全く解明されておらず、佐田議員が説明責任を果たしたとは到底言えない
辞任をもって臭いものに蓋でのトカゲのシッポ切りで任命責任者責任を果たしていない。
前任者を無理して解任し新政府税制会長を任命したが、ハレンチ罪で退任した直後でもある。
独特の語り部政治家であったミッチーこと渡辺美智雄の息子の新大臣認証に自民党幹事長が国内にいなく、立ち会わなかったのは初めてのことであろう。
政務での外遊中?
それがお笑いだ。・・お笑い?・・否!断じて否!この売国奴!
真剣に国事に取り組め!
当の本人は気楽なもので、夫婦でのウィーン・ニュー・イヤーコンサートの私的行事をキャンセルせず国事を放棄した。
オペラ鑑賞などに興じきった地位利用の小泉どこではない。
復党問題で踏み絵さえ踏ませる歪なことをする資格があるのか。
平沼議員のように復党を選ばず、無所属を貫くほうがよっぽど政治家としては資質が高邁である。
内閣府のトップたる安倍はもっと酷く当日アグネス・チャンのホームパーティーで興じてる様は、
ディズニーランドまで来て遊ぶ「北」の将軍様の息子と同程度の国家責任意識ではないのか。
タウンミーティングでのやらせ問題、郵政造反組の復党問題、本間政府税制調査会長の辞任、そして佐田辞任、安倍総理は指導力の欠如と頼りなさを露呈させ、国民の政治不信を日に日に増大させ続けている。
元防衛庁長官の衛藤征士郎衆院議員(65=大分2区)のウラ献金疑惑が浮上した。
公設第1秘書(57)が地元建設業者から冊子の購読料名目で04年までの9年間に1億4000万円以上を集めていた。
私設秘書だった96年、情報サービス会社を設立。
冊子を毎月発行し、大分県の地元事務所を通じて建設業者に買わせていた。
その冊子というのが、インターネットで官公庁の発表資料などを丸写ししただけの粗末な内容。なのに「購読料」は月5万〜20万円と破格で、年1600万円〜2千数百万円を集金していた
。議員本人は「秘書の個人ビジネスで問題はない」などと逃げている
資金は議員側に流れており、政治家個人への企業献金を禁じた政治資金規正法に抵触する疑いが持たれている。
久間初代防衛大臣にいたってはスキャンダラスの話題は書ききれない。
週刊新潮が報道した、赤坂の韓国クラブに入り浸って今日も泥酔いることを
偽メール事件以来尻つぼみ気味で小沢民主も舌鋒が劣っている。
NHKに押し込んだ身内については他だってやってるじゃァないか程度の認識なんだろうか。
NHKコネ入社就職は二世議員の予備軍なんであろうか。
久間初代防衛大臣の娘・PD
片山元総務相の息子・社会部記者皇室担当
松岡利勝の息子・アナ
高村正彦の娘・経理
村田防災相の娘・PD
上杉元自治相の息子・PD
田野瀬良太郎の息子・元PD
石川要三の息子・PD
故・原田昇左右の息子・元衛星番組部長(現国会議員)
柿沢弘治の長男・元記者(現都議会議員)
羽田孜の弟・報道
竹下登元総理の弟・元記者
ついで。猪瀬直樹の娘・PD
会長就任後に 現・橋本会長の娘
初代久間大臣は国家安全保障への認識あまりに低い
北朝鮮の核実験実施について
「核実験をやっただけでは周辺事態認定にならない。緊張状態が高まってくれば認定できる」と述べた。
初代久間大臣の発想だと“核ミサイル”が完成したと判明したのちに周辺事態に認定するというのか。
「北」はそれを武器に新たな脅迫をしてくることは間違いない。「周辺事態認定や国連の制裁決議を解除しなければ撃つぞ」とこられた時、久間大臣はどうするのか。
イラク戦争について
「政府は米国の戦争を支持すると公式に言ったわけではない」(7日)と述べた。
小泉前首相が個人的に支持したと思い込んでいたようだが、翌日「認識不足だった」と発言を撤回した。
発言の間違いや撤回をあげつらうつもりはないが、この勘違いはあまりにも重大である。
せきやんブログの 日中・再び・・戦争突入!2006年9月28日を再読してもらいたい。
ワシントンの政策研究所であるAEI(アメリカン・エンタープライズ・インスティテュート)が主催して、
国会裏のキャピトル東急で開かれた日米会合
、「日本と中国を、どのようにして戦争に突入させるか、そのプラン作り」に久間初代防衛大臣も参加している。
メンバーは「戦争屋」と「死の商人」の談合というところ。
南青山の地上げ案件で国会質問した国民新党・糸川代議士が脅された件、
背後に「小泉内閣の元閣僚秘書」とか書かれている。で、探した
ら実名が出てきた。
大野元防衛庁長官の政策秘書と、岩永峯一元農水大臣の長男兼秘書。更にその背後には初代久間大臣やケケ中の名前もあがっている。
久間初代防衛大臣と日本道路公団傘下企業との緊密さを物語るビデオ出回る
、日本道路公団から多くの仕事を受注しているA社(大阪市)との緊密さを物語るビデオが一部社会部記者等の間で出回り、物議を醸している。
、静岡県浜名湖の某ホテルで開催された「久間章生先生を囲む旅行会」と題する会合の様子を撮影したもの。
「囲む会」というと、多方面の関係者が集まっているように思いがちだが、主催したのは道路公団から多くの仕事を受注しているA社で、参加者もA社のほぼ全社員のみ。
そして、そこに参加したのは久間代議士だけではない。
主賓として、秘書、防衛庁長官秘書官、久間氏の後援会「久生会」の事務局長、事務局幹部まで揃って招かれ、紹介されている。
そして、久生会事務局幹部氏はその場で、A社顧問もしていると紹介されている。
そして、何より異様なのは、特定の企業に「大臣賞」なる盾が用意され、久間氏自らがA社社員に手渡している事実。
というのも、手渡された社員は、A社社長に社員として優秀としてその場で表彰を受けた者なのだ。
要するに、公人たる大臣が、その地位でもって用意した「大臣賞」なる盾を、一私企業に寄与した者に渡しているのだ。
「特別優秀賞」をもらった社員など、日本道路公団の某工事を受注したと、社長からその場で褒め称えられて賞状と金一封を受け取り、その次に久間氏が「大臣賞」盾を手渡すという露骨さだ。
初代久間大臣「暴力団組長と長官室で撮った写真」
この不逞の輩初代久間大臣どもに恐ろしく成長していく軍隊がコントロールできるのか。
政治の不信・空洞化は他国の例や歴史の教訓化では軍事クーデターを招く。
山拓こと山崎拓議員が9日、北京経由で北朝鮮に入る。
平壌では要人との会談もセットされているようだ。
政治信念に燃えたその粋やよし。かってのYKKの政治活動同志の2回目の小泉訪朝の筋道をつけた自負があり、
「おれが行って核と拉致の糸口をつけてやる」という意気込みが感じられる。
それにしてもこの時期の訪朝はまったくもって奇怪。
自分勝手な山拓訪朝に安倍・官邸も「2元外交だ」と不快感を示している。
では拉致担当のわが宮崎の中山首相補佐官の立場や外務大臣などは何をしてるのかとなる。
ただし、そこはそれ、山拓が何らかの成果を上げれば、
「山崎氏からこんな報告があったので」との安倍の打算。
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在日米軍再編への取り組みを強化するため、大臣官房に「米軍再編調整官」と担当の審議官を新設。また、(1)米国との防衛協力の在り方やミサイル防衛(MD)に関する連絡調整を担う日米防衛協力課(2)朝鮮半島情勢、中国の台頭、米国の世界戦略などの中長期的研究を行う戦略企画室−も設置する。談合事件の再発防止策として「防衛監察本部」を新たに整備する。
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自衛隊に新たな階級を2つ創設することも検討。現在は上位から、将、将補、一〜三佐、一〜三尉、准尉、曹長、一〜三曹、士長、一〜
三士となっているが、
(1)将補の下に諸外国にある「准将」(2)曹長の上に「上級曹長」−を設ける構想を示した。
防衛施設庁は、昨年12月に成立した防衛「省」昇格関連法の付則で平成19年度中の廃止が明記されていた。(共同)
(2007/01/03 )
外務省さえ無視してすでに防衛省が突出している事例だ。
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宗教・・
2007年1月9日苦しいときの神頼みではないが、車での生活スタイルではこの地にこの巨大信仰宗教の本拠地があるとは気付きもしなかった。
建物だけでも体育館みたいと事務局にほかに二棟
新興宗教の佛所護念の巨大なる広さの施設である。
太陽光発電のパネルが良く似合いそうなる建物に吸い込まれように敷地内に分け入った。
垣根の穂先にカエルの干し物状態を見た。どうやらモズが食糧確保で準備したらしい。
肉食でたの鳥を獲物にしてる猛禽類に似た凶暴性はかわゆき体型からはにわか信じがたい。
この巨大なる建物からしても。見えない生活が宿っている。
文化やものの考え方というのは宗教の影響を強く受けている。
日本の場合には神道を基本にした仏教儒教その他もろもろのものである。
日本人のものの考え方の多くはこれらの宗教に由来するものであり
、宗教嫌いの人の頭の中にも既に深く根付いている。
その人がそれを宗教だと知らないだけの話である。
どうにも苦手の宗教関係だが、背に腹は変えられぬ。
年会500円で会員になれという。
日本の宗教は、大別して神道系、仏教系、キリスト教系とそれから派生した「新宗教」があり、その他は非常に少数である---
http://www.rirc.or.jp/
宗教団体の361の組織がわかる著作もある。
日本人の多くが宗教を知らないのは、わが国では、誰も宗教を教えてくれないからだ。
家でも教えてもらえないし、学校でも教えてもらえない。
教えてくれるのは新興組織のみ。よって、宗教はできる限り避けた方がよい。
宗教的な知識を、一般人はおろか宗教人でさえ知らない。
ネットはこういうときはありがたい。
新興宗教から逃げ出すブログがある。
これから入信しようとするものには反面教師。
明快なる説明があった。
法華宗系
創価学会 霊友会
立正佼成会 佛所護念会教団
仏教系
真如苑
擬似宗教
実践倫理宏正会 霊波之光教団
キリスト教系
統一教会
諸教系
オウム真理教 幸福の科学
新宗教とは何か?
わが国で新宗教が盛んに起こった時代背景には、大別して二つの形態がある。
1つには混乱・窮乏の時代で、人々は貧・病・争から逃れるために現世利益を説く新宗教に強く憧れ、
2つには経済的・物質的に満たされている時代にあっても、その一方で人生の迷い、人間関係の崩壊、精神的不安などを抱え、それらの問題解決を求めて安置な新宗教にすがった、というものである。
それらの新宗教の共通点として
?神がかりの教祖や創立者への崇拝
?既存の宗教への批判
?個人の救済と道徳や平和・文化運動、社会奉仕活動への参加。
等がある。
ともあれ、これらの新宗教を子細に検討すると、人々の生活不安などにつけ込んで勢力を盛んにし、財力を蓄えてきた悪徳団体に他ならないことが分かる。
それは近年の新宗教がらみの1・2件の事件にも明らかである。
佛所護念会教団
創立 昭和25年10月
創始者 関口嘉一(大恩師)
現会長 関口?高
信仰の対象 日本国衛護の曼荼羅
経典 法華三部経
本部 東京都港区白金台2−1−1
信者数 160万人
佛所護念会教団の本尊は、教団の説明によると、某財団から入手した日蓮大聖人の筆による弘安4年5月15日の「日本国衛護の曼荼羅」と称しているが、日蓮大聖人の本懐は自ら、
「余は二七年なり」(聖人御難事 新編1396) に明かされているように、弘安二年十月十二日の御本尊であり、この御本尊を離れては、いかなる本尊も無益である。
教団では、教団名であり教えの中心である「仏所護念」を、「神仏を崇め、先祖供養をする人を諸仏が守護する」と解釈しているが、法華経の「仏所護念」とは「法華経は諸仏が護り念じてきた所のものである」との意味である。 この様に教えの根本であり、教団名の由来からして誤った解釈をしている。
教団は毎年、伊勢神宮、明治神宮などの神社参拝に力を入れているが、これは教団の正依とする法華経や日蓮大聖人の教えに反するものである。
創始者の関口嘉一は、妙法蓮華経の妙=婦人、法=男子等と解釈しているが、このような解釈は天台にも日蓮大聖人にもない珍解釈である。 また「日蓮大聖人は御入滅の砌に、日朗に法華経の要中を付嘱した。その要中の要とは即ち仏所護念である」などと、平然と史実に反することを述べるなど、思いつきやウソの教義に終始しているといえよう。
不器用で頑固のみがせきやん家のDNAのようで6年ぶりの携帯の息子にもその幻影を会話で見て取った
不定なる同期での法華経が幸せを運んでくるのかチョツト疑わしい。
四緑木星はいい年になるようだ。
栗原よね子の新宿の母。のテレビ番組から
おぼれるものはわらをもつかむ。
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建物だけでも体育館みたいと事務局にほかに二棟
新興宗教の佛所護念の巨大なる広さの施設である。
太陽光発電のパネルが良く似合いそうなる建物に吸い込まれように敷地内に分け入った。
垣根の穂先にカエルの干し物状態を見た。どうやらモズが食糧確保で準備したらしい。
肉食でたの鳥を獲物にしてる猛禽類に似た凶暴性はかわゆき体型からはにわか信じがたい。
この巨大なる建物からしても。見えない生活が宿っている。
文化やものの考え方というのは宗教の影響を強く受けている。
日本の場合には神道を基本にした仏教儒教その他もろもろのものである。
日本人のものの考え方の多くはこれらの宗教に由来するものであり
、宗教嫌いの人の頭の中にも既に深く根付いている。
その人がそれを宗教だと知らないだけの話である。
どうにも苦手の宗教関係だが、背に腹は変えられぬ。
年会500円で会員になれという。
日本の宗教は、大別して神道系、仏教系、キリスト教系とそれから派生した「新宗教」があり、その他は非常に少数である---
http://www.rirc.or.jp/
宗教団体の361の組織がわかる著作もある。
日本人の多くが宗教を知らないのは、わが国では、誰も宗教を教えてくれないからだ。
家でも教えてもらえないし、学校でも教えてもらえない。
教えてくれるのは新興組織のみ。よって、宗教はできる限り避けた方がよい。
宗教的な知識を、一般人はおろか宗教人でさえ知らない。
ネットはこういうときはありがたい。
新興宗教から逃げ出すブログがある。
これから入信しようとするものには反面教師。
明快なる説明があった。
法華宗系
創価学会 霊友会
立正佼成会 佛所護念会教団
仏教系
真如苑
擬似宗教
実践倫理宏正会 霊波之光教団
キリスト教系
統一教会
諸教系
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新宗教とは何か?
わが国で新宗教が盛んに起こった時代背景には、大別して二つの形態がある。
1つには混乱・窮乏の時代で、人々は貧・病・争から逃れるために現世利益を説く新宗教に強く憧れ、
2つには経済的・物質的に満たされている時代にあっても、その一方で人生の迷い、人間関係の崩壊、精神的不安などを抱え、それらの問題解決を求めて安置な新宗教にすがった、というものである。
それらの新宗教の共通点として
?神がかりの教祖や創立者への崇拝
?既存の宗教への批判
?個人の救済と道徳や平和・文化運動、社会奉仕活動への参加。
等がある。
ともあれ、これらの新宗教を子細に検討すると、人々の生活不安などにつけ込んで勢力を盛んにし、財力を蓄えてきた悪徳団体に他ならないことが分かる。
それは近年の新宗教がらみの1・2件の事件にも明らかである。
佛所護念会教団
創立 昭和25年10月
創始者 関口嘉一(大恩師)
現会長 関口?高
信仰の対象 日本国衛護の曼荼羅
経典 法華三部経
本部 東京都港区白金台2−1−1
信者数 160万人
佛所護念会教団の本尊は、教団の説明によると、某財団から入手した日蓮大聖人の筆による弘安4年5月15日の「日本国衛護の曼荼羅」と称しているが、日蓮大聖人の本懐は自ら、
「余は二七年なり」(聖人御難事 新編1396) に明かされているように、弘安二年十月十二日の御本尊であり、この御本尊を離れては、いかなる本尊も無益である。
教団では、教団名であり教えの中心である「仏所護念」を、「神仏を崇め、先祖供養をする人を諸仏が守護する」と解釈しているが、法華経の「仏所護念」とは「法華経は諸仏が護り念じてきた所のものである」との意味である。 この様に教えの根本であり、教団名の由来からして誤った解釈をしている。
教団は毎年、伊勢神宮、明治神宮などの神社参拝に力を入れているが、これは教団の正依とする法華経や日蓮大聖人の教えに反するものである。
創始者の関口嘉一は、妙法蓮華経の妙=婦人、法=男子等と解釈しているが、このような解釈は天台にも日蓮大聖人にもない珍解釈である。 また「日蓮大聖人は御入滅の砌に、日朗に法華経の要中を付嘱した。その要中の要とは即ち仏所護念である」などと、平然と史実に反することを述べるなど、思いつきやウソの教義に終始しているといえよう。
不器用で頑固のみがせきやん家のDNAのようで6年ぶりの携帯の息子にもその幻影を会話で見て取った
不定なる同期での法華経が幸せを運んでくるのかチョツト疑わしい。
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憲法9条
2007年1月8日年頭に当たり初心を書き連ねるは135万人の成人の日の慶事、
まさに一年の計は元旦にありである。
為政者が憲法改正を争点に選挙を争うとの宣戦布告ゆえだ。
恒久平和を願い三宅坂をデモった団塊世代は、どうにも穏やかではない。
憲法公布60年にして人類の高邁な理想の国はココに消えようとしている。
国内全土が焦土の灰燼に喫して全国民が祈りに似た気持ちで恒久平和の理想を国是とした
遅れること49年11月
コスタリカも軍隊を捨てた。
パナマ運河より少しアメリカ側、キューバさえ近くにある、いわゆる地政学上の危険地域の位置にあってでもある。
79年のニカラグア紛争当時、米国レーガンとモンペ大統領が軍隊保持で協議した。
国民投票で明確に反対して永世中立国を宣言した。
83年ニカラグアに米軍の介入も積極的非武装で戦争に加わらなかった。
幾度もこの国是が危ない時期があった
2003年のロベルト・サモラの方針
2004年9がつの南米での政治紛争
軍事はコントロールできない。
軍事無き大国はなし
軍事力なくして平和活動力はない。
スイスの国連加盟
当の米国さえ、為政者は警告を発している。
アイゼンハワーにして、軍産複合化が国を操っている。と警鐘を鳴らした。
憲法9条は世界遺産なんであろうか。
日本と同様に「国際紛争解決するための手段としての戦争放棄」を憲法で謳っている国々は、
アゼルバイジャン、エクアル、ハンガリー、イタリア、ウズベキスタン、カザフスタン、フィリピンと7ヶ国。
「国際紛争の平和的解決」、「侵略戦争または攻撃的戦争の否認」、「平和を国家目標に設定」、「中立政策の推進」など、何らかの形でこれら平和主義条項を憲法に取り入れている国家は
124カ国。
コスタリカ憲法は軍隊の常設を禁止しているだけで
、自衛権を明示的に認め、非常時に徴兵制を敷く事も可能としている。
その見地から、国家の建前上からは、世界唯一の平和憲法9条である。
↑
憲法9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては
、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。
第9条の趣旨
憲法9条全体の解釈をブログから引用する。、
自衛権を含め一切の戦争行為及び戦力を否認しているとする説
自衛権は否定していないが戦争行為は否認しており、そのための戦力も認められないとする説
自衛の範囲内ならば戦争も戦力も認められるとする説
個別的自衛権は認めるが、集団的自衛権は認めないとする説
の4説が主なものである。
「戦争」の定義
「国権の発動たる戦争」とは、国家が宣戦布告によって開始する国際法上の戦争のことである。
「武力による威嚇」とは、武力を行使する意図があることを示して他国を脅すことである。
「武力の行使」とは、国際法上の戦争には至らない軍事衝突のことである。
「国際紛争を解決する手段としては」という留保の意味
この第1項にある留保を受けて、憲法9条が否定するのは自衛戦争以外の戦争であるとする見解、
制裁戦争および侵略戦争を禁じるものであるとする見解
、およそ全ての戦争は国際紛争を解決する手段としてなされるのであるからこの条項はなんらの留保たり得ず全ての戦争を禁じているとする見解、
英文9条第1項では保留になっていないので国内でしか通用しない留保だという意見、
第2項に「前項の目的を達するため」という文言(芦田修正)があることで自衛のための最小限度の実力保持は認められるという意見、
第1項の目的について解釈が分かれたとしても第2項で戦力の不保持を明記しているのだからあらゆる戦争が認められないという意見、
自衛隊は自衛のための最小限度の実力としてはいいが国際貢献の名の下に海外に出ることはこの保留条項に明確に抵触するという意見、などがある
「戦力」の定義
自衛のための戦力は戦力に当たらないとする見解、
「前項の目的」が留保でなく全面放棄だとする立場に立ちすべての兵器の所持を禁じているとする見解などがある。
自衛隊は憲法上非戦闘員であるため、万が一他国の軍隊と交戦状態に陥った場合戦時国際法が適用されないのではないか、という指摘がある。
移動手段の発達で、世界が身近になり、エネルギーの確保がより重要性を帯びてきた為、
各国の軍事力強化、紛争の武力解決がすすむ中で、、先哲の政治家は9条の範囲の中で政治を掌ってきた。
外交努力の英知の賜物である。
これまでの政治家の苦悩振りから9条を守ってきた経緯を見てみよう。
政府による第9条の解釈
憲法制定当初、政府は、憲法は一切の軍備を禁止し、自衛戦争をも放棄したものとしていた。
しかし、朝鮮戦争に伴う日本再軍備とともに、憲法で禁止されたのは侵略戦争であって自衛戦争ではないとの立場をとるようになった。
また、自衛隊は必要最小限度の「実力」であって、憲法で禁止された「戦力」には当たらないとした。
国連で認められている集団的自衛権については、日本はこれを持ってはいるが行使してはならないとしている。
しかし、この場合は98条2項との兼ね合いが問題となる。
自衛権の発動としての戦争も放棄(1946年、衆議院委員会における吉田首相の答弁)
「戦争放棄に関する本案の規定は、直接には自衛権を否定はしておりませぬが、第9条第2項において一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したのであります」
「いかなる形でも自衛権など認めない方がよい。そもそも近代の戦争は全て自衛の名の下に行なわれたのであり、自衛戦争などという概念そのものが有害」(要旨)
警察予備隊は軍隊ではない(1950年、参議院本会議における吉田首相の答弁)
「警察予備隊の目的はまったく治安維持にある。……したがってそれは軍隊ではない」
戦力に至らざる程度の実力の保持は違憲ではない(1952年、吉田内閣の政府統一見解)
「戦力とは、近代戦争遂行に役立つ程度の装備・編成を備えるものをいう。戦力に至らざる程度の実力を保持し、これを直接侵略防衛の用に供することは違憲ではない」
自衛隊は違憲ではない(1954年、鳩山内閣の政府統一見解)
「第9条は……わが国が自衛権を持つことを認めている。自衛隊のような自衛のための任務を有し、かつその目的のため必要相当な範囲の実力部隊を設けることは、何ら憲法に違反するものではない」
しかし、これらの答弁は結局論理矛盾であり、憲法上の自衛隊の地位の問題を解決することはできていないのが現実である。自衛隊の地位の問題をきちんとした形で解決しない限り、『違憲』という自衛隊への批判は消えることは無いであろう、という意見もある。
その後、1960年安保を頂点とする戦後民主主義運動が起こり、自民党政権は改憲に消極的になるとともに
、解釈による自衛隊容認と日米安保を基本方針としながら、集団的自衛権の行使を違憲とする解釈や非核三原則などによって
、戦力の保持・行使に対する一定の歯止めを置いた。
1990年代以降、自衛隊の海外派兵が行われるようになると、自衛隊の海外での活動と9条との関係が改めて現実的問題として問われはじめた。これまでのところ政府は、自衛隊による米軍等への後方支援活動は集団的自衛権の行使にあたらない、などという解釈を示している。
発案者をめぐる議論
このような条文を憲法に盛り込むことがいったい誰の発案であったのかが議論になることがある。
マッカーサーの自伝では時の首相、幣原喜重郎のたっての希望とされているが、いわゆる「人間宣言」で「平和主義」に徹すると述べていた昭和天皇の内々の希望だったという説も根強い。 また、米国の自治領であった頃のフィリピン憲法(1935年)に既に同様の条文があることから、米国主導に起案されたものであるとする見解もある。勿論、日米双方の構想として存在した可能性も否定は出来ない。
自衛をめぐる議論
憲法の骨格となったマッカーサー草案にはあった「自衛のため(even for preserving its own security)としてさえ、戦争を放棄する」 という部分が、ケーディスの修正を受けての司令部案では削除されていることから、自衛のための措置が執られる可能性を否定していないと解することが可能である。
また、芦田均が、第2項の冒頭に「前項の目的を達するため」と挿入する修正をしたことにより(芦田修正)、自衛権が認められているとする見解もある。
山崎議員が「北」に旅たつ。
同胞の奪還は国民の国家的意思。
その後、小泉がその後を追い、、安倍で完結させようとの政治先導が動き出した。
政治権力維持の為のパファーマンスでの安倍支持率回復策であろう。
小沢民主の国内問題を選挙の争点にしようとすることへの対抗処置である。
、国民をナショナリズムに巻き込もうとの意図が見え隠れする。
そこで囁かれるのが与党有利という衆参同日選の強行 だ。
政権発足3カ月で内閣支持率は急落の一途で、危険水域の30%台まで追い込まれている。
選挙が終われば、これまで隠し通してきた消費税をはじめとする増税ラッシュ
国民生活は疲弊し破綻寸前。
工事代金さえ払わない事の余波を受け四苦八苦の新年早々である。
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まさに一年の計は元旦にありである。
為政者が憲法改正を争点に選挙を争うとの宣戦布告ゆえだ。
恒久平和を願い三宅坂をデモった団塊世代は、どうにも穏やかではない。
憲法公布60年にして人類の高邁な理想の国はココに消えようとしている。
国内全土が焦土の灰燼に喫して全国民が祈りに似た気持ちで恒久平和の理想を国是とした
遅れること49年11月
コスタリカも軍隊を捨てた。
パナマ運河より少しアメリカ側、キューバさえ近くにある、いわゆる地政学上の危険地域の位置にあってでもある。
79年のニカラグア紛争当時、米国レーガンとモンペ大統領が軍隊保持で協議した。
国民投票で明確に反対して永世中立国を宣言した。
83年ニカラグアに米軍の介入も積極的非武装で戦争に加わらなかった。
幾度もこの国是が危ない時期があった
2003年のロベルト・サモラの方針
2004年9がつの南米での政治紛争
軍事はコントロールできない。
軍事無き大国はなし
軍事力なくして平和活動力はない。
スイスの国連加盟
当の米国さえ、為政者は警告を発している。
アイゼンハワーにして、軍産複合化が国を操っている。と警鐘を鳴らした。
憲法9条は世界遺産なんであろうか。
日本と同様に「国際紛争解決するための手段としての戦争放棄」を憲法で謳っている国々は、
アゼルバイジャン、エクアル、ハンガリー、イタリア、ウズベキスタン、カザフスタン、フィリピンと7ヶ国。
「国際紛争の平和的解決」、「侵略戦争または攻撃的戦争の否認」、「平和を国家目標に設定」、「中立政策の推進」など、何らかの形でこれら平和主義条項を憲法に取り入れている国家は
124カ国。
コスタリカ憲法は軍隊の常設を禁止しているだけで
、自衛権を明示的に認め、非常時に徴兵制を敷く事も可能としている。
その見地から、国家の建前上からは、世界唯一の平和憲法9条である。
↑
憲法9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては
、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。
第9条の趣旨
憲法9条全体の解釈をブログから引用する。、
自衛権を含め一切の戦争行為及び戦力を否認しているとする説
自衛権は否定していないが戦争行為は否認しており、そのための戦力も認められないとする説
自衛の範囲内ならば戦争も戦力も認められるとする説
個別的自衛権は認めるが、集団的自衛権は認めないとする説
の4説が主なものである。
「戦争」の定義
「国権の発動たる戦争」とは、国家が宣戦布告によって開始する国際法上の戦争のことである。
「武力による威嚇」とは、武力を行使する意図があることを示して他国を脅すことである。
「武力の行使」とは、国際法上の戦争には至らない軍事衝突のことである。
「国際紛争を解決する手段としては」という留保の意味
この第1項にある留保を受けて、憲法9条が否定するのは自衛戦争以外の戦争であるとする見解、
制裁戦争および侵略戦争を禁じるものであるとする見解
、およそ全ての戦争は国際紛争を解決する手段としてなされるのであるからこの条項はなんらの留保たり得ず全ての戦争を禁じているとする見解、
英文9条第1項では保留になっていないので国内でしか通用しない留保だという意見、
第2項に「前項の目的を達するため」という文言(芦田修正)があることで自衛のための最小限度の実力保持は認められるという意見、
第1項の目的について解釈が分かれたとしても第2項で戦力の不保持を明記しているのだからあらゆる戦争が認められないという意見、
自衛隊は自衛のための最小限度の実力としてはいいが国際貢献の名の下に海外に出ることはこの保留条項に明確に抵触するという意見、などがある
「戦力」の定義
自衛のための戦力は戦力に当たらないとする見解、
「前項の目的」が留保でなく全面放棄だとする立場に立ちすべての兵器の所持を禁じているとする見解などがある。
自衛隊は憲法上非戦闘員であるため、万が一他国の軍隊と交戦状態に陥った場合戦時国際法が適用されないのではないか、という指摘がある。
移動手段の発達で、世界が身近になり、エネルギーの確保がより重要性を帯びてきた為、
各国の軍事力強化、紛争の武力解決がすすむ中で、、先哲の政治家は9条の範囲の中で政治を掌ってきた。
外交努力の英知の賜物である。
これまでの政治家の苦悩振りから9条を守ってきた経緯を見てみよう。
政府による第9条の解釈
憲法制定当初、政府は、憲法は一切の軍備を禁止し、自衛戦争をも放棄したものとしていた。
しかし、朝鮮戦争に伴う日本再軍備とともに、憲法で禁止されたのは侵略戦争であって自衛戦争ではないとの立場をとるようになった。
また、自衛隊は必要最小限度の「実力」であって、憲法で禁止された「戦力」には当たらないとした。
国連で認められている集団的自衛権については、日本はこれを持ってはいるが行使してはならないとしている。
しかし、この場合は98条2項との兼ね合いが問題となる。
自衛権の発動としての戦争も放棄(1946年、衆議院委員会における吉田首相の答弁)
「戦争放棄に関する本案の規定は、直接には自衛権を否定はしておりませぬが、第9条第2項において一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したのであります」
「いかなる形でも自衛権など認めない方がよい。そもそも近代の戦争は全て自衛の名の下に行なわれたのであり、自衛戦争などという概念そのものが有害」(要旨)
警察予備隊は軍隊ではない(1950年、参議院本会議における吉田首相の答弁)
「警察予備隊の目的はまったく治安維持にある。……したがってそれは軍隊ではない」
戦力に至らざる程度の実力の保持は違憲ではない(1952年、吉田内閣の政府統一見解)
「戦力とは、近代戦争遂行に役立つ程度の装備・編成を備えるものをいう。戦力に至らざる程度の実力を保持し、これを直接侵略防衛の用に供することは違憲ではない」
自衛隊は違憲ではない(1954年、鳩山内閣の政府統一見解)
「第9条は……わが国が自衛権を持つことを認めている。自衛隊のような自衛のための任務を有し、かつその目的のため必要相当な範囲の実力部隊を設けることは、何ら憲法に違反するものではない」
しかし、これらの答弁は結局論理矛盾であり、憲法上の自衛隊の地位の問題を解決することはできていないのが現実である。自衛隊の地位の問題をきちんとした形で解決しない限り、『違憲』という自衛隊への批判は消えることは無いであろう、という意見もある。
その後、1960年安保を頂点とする戦後民主主義運動が起こり、自民党政権は改憲に消極的になるとともに
、解釈による自衛隊容認と日米安保を基本方針としながら、集団的自衛権の行使を違憲とする解釈や非核三原則などによって
、戦力の保持・行使に対する一定の歯止めを置いた。
1990年代以降、自衛隊の海外派兵が行われるようになると、自衛隊の海外での活動と9条との関係が改めて現実的問題として問われはじめた。これまでのところ政府は、自衛隊による米軍等への後方支援活動は集団的自衛権の行使にあたらない、などという解釈を示している。
発案者をめぐる議論
このような条文を憲法に盛り込むことがいったい誰の発案であったのかが議論になることがある。
マッカーサーの自伝では時の首相、幣原喜重郎のたっての希望とされているが、いわゆる「人間宣言」で「平和主義」に徹すると述べていた昭和天皇の内々の希望だったという説も根強い。 また、米国の自治領であった頃のフィリピン憲法(1935年)に既に同様の条文があることから、米国主導に起案されたものであるとする見解もある。勿論、日米双方の構想として存在した可能性も否定は出来ない。
自衛をめぐる議論
憲法の骨格となったマッカーサー草案にはあった「自衛のため(even for preserving its own security)としてさえ、戦争を放棄する」 という部分が、ケーディスの修正を受けての司令部案では削除されていることから、自衛のための措置が執られる可能性を否定していないと解することが可能である。
また、芦田均が、第2項の冒頭に「前項の目的を達するため」と挿入する修正をしたことにより(芦田修正)、自衛権が認められているとする見解もある。
山崎議員が「北」に旅たつ。
同胞の奪還は国民の国家的意思。
その後、小泉がその後を追い、、安倍で完結させようとの政治先導が動き出した。
政治権力維持の為のパファーマンスでの安倍支持率回復策であろう。
小沢民主の国内問題を選挙の争点にしようとすることへの対抗処置である。
、国民をナショナリズムに巻き込もうとの意図が見え隠れする。
そこで囁かれるのが与党有利という衆参同日選の強行 だ。
政権発足3カ月で内閣支持率は急落の一途で、危険水域の30%台まで追い込まれている。
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異常気象
2007年1月8日日本の北部では、大荒れの気象状況が続いてるようである。
恐縮であるが冬に雪が降るのは自然の猛威として受け入れなければならぬやも知れない。
地球の温暖化が急速にすすんでるからである。
ただ、温暖化は暖かくなることだけでなく、異常気象を伴うことでもあり、短絡的結論は誤りを招く。
地球を取り囲んでる、CO2の増大は急速に増えとどまることをしらない。
そのCO2は異常気象の原因をなす凶器とみられている。
今後ももCO2が増大する生活スタイルが世界的にすすんでいこうとしてるのでことは厄介だ。
石化燃料をエネルギーにし産業革命て人類は溢れる生活用品を手に入れた。
鉄道、航空機の普及を経て地球は狭いものとなり、どこからでも物が仕入れられる時代が到来した。
とりわけ個人の移動手段としてのマイカーの入手は生活を一変させている。
科学技術の発達は石油から衣食住の総てを生み出させるが如くの様相を見せている。
繊維さえ石化類から作られ成果と総てがてる現状である。
石油資源があるやなしやで一国の未来が限定される雲行きである。
第一次大戦、第二次大戦の原因は石炭・石油をめぐるエネルギー争奪戦であった。
現在でもその基本的構図は変わらず、さらに深化している。
石油資源の取得をめぐって外交努力で平和的に得るか、武力を持って得るかの差だけである。
「海洋基本法」に民主も賛成 海洋政策を総合管理へ
25日召集予定の通常国会に自民党が提出する「海洋基本法案」に対し、民主党は賛成する方針を固めた
。賛成多数で成立する見通しとなった。
同法案は、海洋政策を担当する省庁が、国土交通省や外務省、経済産業省、防衛庁など8つに分かれている現状を改め、海域を総合的に管理するのが目的だ。基本理念として(1)環境保全(2)持続可能な開発・利用(3)国際的協調−などの重要性を明記。その上で、海洋政策担当相の任命、首相を議長とする総合海洋政策会議の設置、海洋基本計画の策定などを盛り込む。
海洋国家として、日本の権益を守る基本法の制定には、東シナ海の石油・ガス田開発を一方的に進める中国を牽制する狙いがある。
自民党が12月に固めた、法案の基礎となる海洋政策大綱案では、「隣接国による石油・ガス田開発や海洋調査、密輸・密入国、工作船の侵入、シーレーンの安全確保などの問題に適切な対応ができず、国益を損なっている」と指摘した。
自公民3党の協議で焦点になりそうなのは、民主党がすでに提出している海洋権益を守るための法案の扱いだ。
民主党が一昨年の臨時国会に提出した、首相を本部長とする「海底資源開発推進本部」の設置などを盛り込んだ「海底資源開発推進法案」については、民主党政調関係者は「海洋政策の権限の一元化という趣旨では、基本法案とほぼ同じ」と説明しており、法案を取り下げる方向で党内調整を進める。
一方、同党の「天然資源探査・海洋調査に関する権利行使法案」と、自民党が昨年の通常国会で提出した「海洋構築物に関する安全水域設置法案」は、いずれも排他的経済水域(EEZ)内での天然資源探査に関し、禁止・制限を加え、罰則も設けている。
防衛省あす発足 久間長官「精強な自衛隊目指す」
1月8日8時0分配信 産経新聞
防衛「省」昇格関連法が9日に施行され、防衛庁が「防衛省」に昇格する。同日午前に東京・市谷の防衛庁正門にある門標が「防衛省」の看板に掛け替えられる。
久間長官は7日、千葉県船橋市の自衛隊習志野演習場で行われた陸上自衛隊第1空挺(くうてい)団の降下訓練で訓示し、防衛省発足について「わが国を取り巻く安全保障環境の変化を受け、国防任務や国際平和協力活動など、防衛庁、自衛隊の活動に対し国民の信頼が寄せられたものだ。より精強な自衛隊となることが重要だ」と強調した。
防衛庁は昭和29年、総理府(現・内閣府)の外局として設置された。しかし、防衛庁長官が内閣府の長である首相を通じてしか閣議開催の請求ができないなど、不合理な面が多く、北朝鮮情勢なども後押しとなり、昨年末の臨時国会で「省」昇格法が成立した。
省発足に伴い、国連平和維持活動(PKO)やイラク人道復興支援活動など自衛隊の海外活動は、これまでの「付随的任務」から「本来任務」に格上げされる。
同時に「国の防衛」の主任大臣はこれまでの首相から防衛相に移る。ただ、シビリアンコントロール(文民統制)確保の観点から、自衛隊の最高指揮官としての権限は引き続き首相が持ち、防衛出動や治安出動の命令は首相が行う。
防衛省発足に伴う組織改編は9月1日に実施される。久間長官は、(1)防衛施設庁を廃止して省内に「地方企画局」を新設し、全国8つの地方防衛施設局を地方防衛局に改編(2)日米防衛協力拡大に対応するため日米防衛協力課、米軍再編調整官を新設(3)談合事件など不祥事の再発防止のため防衛監察本部を設置−などの構想を示している。
また、久間長官は、平成20年度をめどに、自衛隊に新たな階級2つを新設する考えを示している。現在の将補と1佐の間に「准将」を設け将官を3階級とすることで世界基準に合わせる一方、准尉と曹長の間に「上級曹長」を設け、部隊内の士気向上を図る方針だ。
先日4日権威ある英国の記事が読売記載された。
今年の世界平均気温、史上最高に!?
…英気象庁が予測国気象庁は3日、今年の世界の平均気温が地球温暖化とエルニーニョ現象の影響で、過去最高だった1998年を上回り、史上最高になる恐れがあるとの予測を発表した。
同庁と英イーストアングリア大が、毎年1月に共同で発表する世界の気象予測で明らかにした。
それによると、61〜90年の世界の平均気温が約14・0度だったのに対し、今年は、これを0・54度上回ると予測。
平均気温を0・52度上回り、過去最高を記録した98年と同程度か、それより暖かくなる確率は約60%と試算した。
その理由として同庁は、史上6番目の高温となった昨年に発生した太平洋熱帯地域のエルニーニョ現象が、今後数か月持続すると指摘。
22度と史上最高を記録=「真冬」のTシャツ姿−NY
1月7日 時事通信
1月なのに街ではTシャツ姿が目立つ−。
真冬のはずの米東部のニューヨークでは6日、温度計がぐんぐん上昇し、午後1時半すぎにマンハッタン島中心部のセントラルパークで22.2度を記録した。
平年なら4度前後から氷点下1度が普通で、米メディアによると、この日の気温は同日としては観測史上最高。
これまでは1950年の17.2度が最高だった。
ニューヨークでは昨年11月と12月に一日も雪が降らなかったが、これも1877年以来129年ぶりの現象だった。
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ただ、温暖化は暖かくなることだけでなく、異常気象を伴うことでもあり、短絡的結論は誤りを招く。
地球を取り囲んでる、CO2の増大は急速に増えとどまることをしらない。
そのCO2は異常気象の原因をなす凶器とみられている。
今後ももCO2が増大する生活スタイルが世界的にすすんでいこうとしてるのでことは厄介だ。
石化燃料をエネルギーにし産業革命て人類は溢れる生活用品を手に入れた。
鉄道、航空機の普及を経て地球は狭いものとなり、どこからでも物が仕入れられる時代が到来した。
とりわけ個人の移動手段としてのマイカーの入手は生活を一変させている。
科学技術の発達は石油から衣食住の総てを生み出させるが如くの様相を見せている。
繊維さえ石化類から作られ成果と総てがてる現状である。
石油資源があるやなしやで一国の未来が限定される雲行きである。
第一次大戦、第二次大戦の原因は石炭・石油をめぐるエネルギー争奪戦であった。
現在でもその基本的構図は変わらず、さらに深化している。
石油資源の取得をめぐって外交努力で平和的に得るか、武力を持って得るかの差だけである。
「海洋基本法」に民主も賛成 海洋政策を総合管理へ
25日召集予定の通常国会に自民党が提出する「海洋基本法案」に対し、民主党は賛成する方針を固めた
。賛成多数で成立する見通しとなった。
同法案は、海洋政策を担当する省庁が、国土交通省や外務省、経済産業省、防衛庁など8つに分かれている現状を改め、海域を総合的に管理するのが目的だ。基本理念として(1)環境保全(2)持続可能な開発・利用(3)国際的協調−などの重要性を明記。その上で、海洋政策担当相の任命、首相を議長とする総合海洋政策会議の設置、海洋基本計画の策定などを盛り込む。
海洋国家として、日本の権益を守る基本法の制定には、東シナ海の石油・ガス田開発を一方的に進める中国を牽制する狙いがある。
自民党が12月に固めた、法案の基礎となる海洋政策大綱案では、「隣接国による石油・ガス田開発や海洋調査、密輸・密入国、工作船の侵入、シーレーンの安全確保などの問題に適切な対応ができず、国益を損なっている」と指摘した。
自公民3党の協議で焦点になりそうなのは、民主党がすでに提出している海洋権益を守るための法案の扱いだ。
民主党が一昨年の臨時国会に提出した、首相を本部長とする「海底資源開発推進本部」の設置などを盛り込んだ「海底資源開発推進法案」については、民主党政調関係者は「海洋政策の権限の一元化という趣旨では、基本法案とほぼ同じ」と説明しており、法案を取り下げる方向で党内調整を進める。
一方、同党の「天然資源探査・海洋調査に関する権利行使法案」と、自民党が昨年の通常国会で提出した「海洋構築物に関する安全水域設置法案」は、いずれも排他的経済水域(EEZ)内での天然資源探査に関し、禁止・制限を加え、罰則も設けている。
防衛省あす発足 久間長官「精強な自衛隊目指す」
1月8日8時0分配信 産経新聞
防衛「省」昇格関連法が9日に施行され、防衛庁が「防衛省」に昇格する。同日午前に東京・市谷の防衛庁正門にある門標が「防衛省」の看板に掛け替えられる。
久間長官は7日、千葉県船橋市の自衛隊習志野演習場で行われた陸上自衛隊第1空挺(くうてい)団の降下訓練で訓示し、防衛省発足について「わが国を取り巻く安全保障環境の変化を受け、国防任務や国際平和協力活動など、防衛庁、自衛隊の活動に対し国民の信頼が寄せられたものだ。より精強な自衛隊となることが重要だ」と強調した。
防衛庁は昭和29年、総理府(現・内閣府)の外局として設置された。しかし、防衛庁長官が内閣府の長である首相を通じてしか閣議開催の請求ができないなど、不合理な面が多く、北朝鮮情勢なども後押しとなり、昨年末の臨時国会で「省」昇格法が成立した。
省発足に伴い、国連平和維持活動(PKO)やイラク人道復興支援活動など自衛隊の海外活動は、これまでの「付随的任務」から「本来任務」に格上げされる。
同時に「国の防衛」の主任大臣はこれまでの首相から防衛相に移る。ただ、シビリアンコントロール(文民統制)確保の観点から、自衛隊の最高指揮官としての権限は引き続き首相が持ち、防衛出動や治安出動の命令は首相が行う。
防衛省発足に伴う組織改編は9月1日に実施される。久間長官は、(1)防衛施設庁を廃止して省内に「地方企画局」を新設し、全国8つの地方防衛施設局を地方防衛局に改編(2)日米防衛協力拡大に対応するため日米防衛協力課、米軍再編調整官を新設(3)談合事件など不祥事の再発防止のため防衛監察本部を設置−などの構想を示している。
また、久間長官は、平成20年度をめどに、自衛隊に新たな階級2つを新設する考えを示している。現在の将補と1佐の間に「准将」を設け将官を3階級とすることで世界基準に合わせる一方、准尉と曹長の間に「上級曹長」を設け、部隊内の士気向上を図る方針だ。
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今年の世界平均気温、史上最高に!?
…英気象庁が予測国気象庁は3日、今年の世界の平均気温が地球温暖化とエルニーニョ現象の影響で、過去最高だった1998年を上回り、史上最高になる恐れがあるとの予測を発表した。
同庁と英イーストアングリア大が、毎年1月に共同で発表する世界の気象予測で明らかにした。
それによると、61〜90年の世界の平均気温が約14・0度だったのに対し、今年は、これを0・54度上回ると予測。
平均気温を0・52度上回り、過去最高を記録した98年と同程度か、それより暖かくなる確率は約60%と試算した。
その理由として同庁は、史上6番目の高温となった昨年に発生した太平洋熱帯地域のエルニーニョ現象が、今後数か月持続すると指摘。
22度と史上最高を記録=「真冬」のTシャツ姿−NY
1月7日 時事通信
1月なのに街ではTシャツ姿が目立つ−。
真冬のはずの米東部のニューヨークでは6日、温度計がぐんぐん上昇し、午後1時半すぎにマンハッタン島中心部のセントラルパークで22.2度を記録した。
平年なら4度前後から氷点下1度が普通で、米メディアによると、この日の気温は同日としては観測史上最高。
これまでは1950年の17.2度が最高だった。
ニューヨークでは昨年11月と12月に一日も雪が降らなかったが、これも1877年以来129年ぶりの現象だった。
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戦火の臭い
2007年1月7日ご意見を頂いている。大いに議論を深めたい。
ただ、昨年の苦い経験は一度で良い。
十分なる時間日数をかけて議論することを再度提案したい。。
短絡的結論は、建設的でなく口汚く罵ることのみとなり、それなら初めからやめたが良い。
おなじ地球号たる宇宙船に同時代に乗り合わせた奇遇を大事にしたい。
先哲の政治外交努力でわれらは国家の庇護の下に今日の繁栄が保たれている。
世代間、異意見を乗り越え平和な社会を子々孫々に受けつがそうではないか。
好むと好まらずとにかかわらず他人事に引き込まれる場合でどうもならないことがある。
特に政治の世界はそうである、
「北」の核実験が再開されるという。
さらに、米国はイラクに2万人の増派を発表しよう。
日本国民の認識はサマワから、2006年(平成18)7月に撤収したはずで撤収は完了済みであろう。、
あれは陸上のみで、航空自衛隊は現在もイラクの地にあり輸送活動を続けている。
また、対テロ特措法にもとづきインド洋に派遣されている海上自衛隊の米軍後方支援活動は2001年から現在までずっと続いている。
マスコミの責任は重大である。
フセインノ死刑以来シーア派とスンニン派は憎悪を深め、共存してた宗教の拠点たる 相手側のモスクにさえ押しかけるようになるどうしよ
うもない混乱状態となっている。
この状態でさえ、自衛隊は反撃もできず駐留してるのである。
今のイラク特措法では相手に反撃することすら難しく
イラク戦争に正当性がない以上、一刻も早く撤退するのは当然である。
その中でも異論が出てきた。
「憲法9条を改正せず」に派遣延長を決めるのは自衛隊員の安全を考えず、政府は無責任であるという。。
自衛隊イラク派遣は日本国憲法を根幹から見直す・考える問題に発展し、イラク派遣は今後の安全保障といった日本の将来に関わる重大な派遣と位置づけられている。
先進国である日本が果たすべき国際貢献とは何なのか、
軍事力の行使以外の方法で国際貢献はできないのか、
アフガニスタンで復興支援してるがイラクでは、体験を生かした考慮の余地はないのか。
そもそも「軍事力の行使なし」という前提で考える国際貢献など急速な事態に即応できない、
などの国民全体を巻き込んだ論争を生んでいる。。
論争は、今後の日米関係、日本とイラクの関係、国際協調とは何かなどと幅広く必要となっている。
7月31日 航空自衛隊のC-130H輸送機がクウェートのアリ・アルサレム空軍基地からバグダッド国際空港へ多国籍軍の兵士等をはじめて輸送した。
2004年3月にクウェートを拠点にイラク南部への空輸活動を開始して以来、初の活動範囲の拡大である。
空自は是までに同型機を3機派遣しており、2004年3月3日から空輸活動を開始。
のべ約1900人の隊員が計348回に渡り、計約479トンの物資などを空輸してきた。
政府は、今までの空輸の中心は陸自隊員や「人道復興支援物資」としてきたが、陸自撤退後は、空自による米兵やその物資の輸送と言った多国籍軍への軍事支援である
「安全確保支援」に変更することを決定した。
そのために「基本計画」の変更を行う。
そこにフセイン死刑がイスラム宗教の国々まで飛び火しだした。
これらを、マスコミ統制のほほかぶりで国民に知らせようとはしないわが国。
「イラクにまだ自衛隊がいるの?」が率直なる国民の状況であろう。
現地では拡大解釈され戦争状態である。
命がかかってる以上そんなものであろう。
戦争にルールなどあるはずがない。
マスコミが国民に与える役割はその点大きいが機能していない。
社会の木鐸たる権力の監視役としての批判力、現況の行く末の不十分さを感じる
それは過去の歴史の過ちに学ぶ知恵がないからではないのか。
今こそ明治以来の歴史に学び、太平洋戦争にいたった経験から見出すべきだ。
戦後62年、幾多の戦争への加担を切り抜けてきた政治家たちのその智恵を拝借すべきである。
大手紙の社説の見出しをブログから引用することを許されたい。
東京新聞「年のはじめに考える 新しい人間中心主義」
朝日新聞「戦後ニッポンを侮るな 憲法60年の年明けに」
毎日新聞「〈世界一〉を増やそう 挑戦に必要な暮らしの安全」
読売新聞「タブーなき安全保障論議を 集団的自衛権『行使』を決断せよ」
産経新聞「凛とした日本人忘れまい 家族の絆の大切さ再認識を」
日本経済新聞「開放なくして成長なし(1) 懐深く志高いグローバル国家に」
宮崎日日新聞「団塊世代の記憶 豊かさ伝える役目を果たそう」
▽東京新聞―人間中心主義をどう生かすか
「〈戦後最長の景気拡大〉と〈企業空前の高収益〉がよそごとのような年明けです。この国の未来を取り戻さねばなりません。新しい人間中心主義によってです」
「行き過ぎの市場原理主義に否定されてしまった人間性が復活し、資本やカネでなく、新しいヒューマニズムが息づく社会―そんな選択であるべきです」
「悲願の改定教育基本法を成立させた安倍政権の次なる目標が改憲ですが、そこに盛り込まれている権力拘束規範から国民の行動拘束規範への転換こそ、勝ち組世襲集団の発想に思えるのです。国民のうちにある庶民感覚と感情のずれ。改憲に簡単にうなずけない理由のひとつです」と。
新しい人間中心主義、ヒューマニズムについて積極的かつ具体的な言及が足りない点に不満が残る。
▽朝日新聞―「軍事より経済」で成功した戦後日本
「教育基本法の改正を終え、次は憲法だ、そう意気込む自民党の改憲案で最も目立つのは、9条を変えて〈自衛軍〉をもつことだ。安倍首
相は任期中の実現を目指すといい、米国との集団的自衛権を認めようと意欲を見せる」
「軍事に極めて抑制的なことを〈普通ではない〉と嘆いたり、恥ずかしいと思ったりする必要はない。安倍首相は〈戦後レジームからの脱却〉を掲げるが、それは一周遅れの発想ではないか」
「〈軍事より経済〉で成功した戦後日本である。いま〈やっぱり日本も軍事だ〉となれば、世界にその風潮を助長してしまうだけだ。北朝鮮のような国にたいして〈日本を見ろ〉と言えることこそ、いま一番大事なことである」と。
どういう国のあり方を描くべきなのか。「地球貢献国家」宣言を提案している。
検討に値するテーマであるが、これを社説の見出しに掲げていないところをみると、ここに社説の主眼があるとはいえない。
ついでに問題提起をしてみた程度、という印象。
▽毎日新聞―「世界一」のリストを増やしていくことを提案
「日本に〈世界一〉はいくつあるだろう。(中略)〈男はつらいよ〉は世界一長い映画シリーズである。(中略)日本は世界一の長寿国である。年頭に当たって、私たちは、この世界一のリストを増やしていこうと、と提案する。世界的基準に照らして傑出したモノやサービス、世界に胸をはって誇れるような〈日本発の価値〉を増やそうという呼びかけだ」
「日本はさまざまな世界一を必要としている。なかでも世界一国民を大事にする政府である。世界一の政府を求めるならば、私たち自身が世界一啓発された有権者でなくてはならない」と。
「世界に胸を張って誇れる価値」としてまず挙げるべきは「平和憲法9条」(戦争放棄、非武装)であろう。
なぜこの戦後最大のテーマに正面から立ち向かって論じようとしないのか。
権力との仲間意識に縛られて、「権力批判」というジャーナリズムの原点を投げ捨てたのだろうか。
▽読売新聞―消費税増税の早期決断を促す
「日本はならずもの国家の核と共存することになるのか。この安全保障環境の激変にどう対処すべきか」
「現在の国際環境下で日本が核保有するという選択肢は、現実的ではない。核保有が選択肢にならないとすれば、現実的には米国の核の傘に依存するしかない。核の傘を機能させるには日米同盟関係の信頼性を揺るぎないものに維持する努力が要る。同盟の実効性、危機対応能力を強化するため、集団的自衛権を〈行使〉できるようにすることが肝要だ。政府がこれまでの憲法解釈を変更すればいいだけのことだ。安倍首相は、決断すべきである」
「安全保障態勢の整備は、国家としての最も基本的な存立要件の一つだが、それを支えるには、経済・財政基盤もしっかりしていなくてはならない。(中略)消費税増は不可避だ。与党は消費税論議は秋から開始というが、事実上、参院選を意識しての先送りだ。(中略)それではとても09年度の導入には間に合わない。より早い論議開始・導入の決断を急ぐべきである」と。
権力の側に立った社説である「憲法解釈を変更すればいいだけのこと」とは、乱暴にすぎるのではないか。
(注)集団的自衛権は、日本が軍事的侵攻を受けない場合でも、同盟相手国の米国の艦隊などが侵攻に見舞われれば、それを軍事的に支援するもので、従来の政府解釈では現行平和憲法の下では行使できないとされている。ところが集団自衛権行使を容認することになれば、先制攻撃論に基づく米国の世界規模での軍事力行使に日本は付き合うことになりかねない。
戦争体制を強化することは、戦時体制の米国の財政赤字増大をみるまでもなく、財政負担増に直結する。その財政負担増をまかなう手段が課税基盤が広く、大衆課税を意味する消費税増税である。
▽産経新聞―なぜ「無国籍化と個の肥大や暴走を招いた」か
「隣人を思いやり、苦悩を分かち合う共同体意識の再生も、いまほど求められている時代はない。家族は社会や国づくりの一番の基礎にある。家庭と共同体の再生こそ日本再生へのカギではないか」
「その意味で改正教育基本法の成立は価値ある重要な一歩といえる。(中略)教育基本法も憲法同様、人類の普遍的価値や個の尊重を強調するあまり、結果として無国籍化と個の肥大や暴走を招いた」と。
改正教育基本法の成立は価値があり、さらに憲法改正も必要だという主張らしいが、これはいささか飛躍してはいないか。なぜ「無国籍化と個の肥大や暴走を招いた」のか。それは平和憲法や改悪前の教育基本法の責任ではない
その責任は、多くの人が肯定してきた戦後の経済成長主義にある。
成長政策を支えた経済思想―1980年代以降、今日までの規制緩和・廃止、民営化、自由化さらに弱肉強食の競争激化を背景に私利追求路線を推進してきた自由市場原理主義も含めて―は、いのちや共生の軽視、利己主義を特色とした。これを推進したのがほかならぬ自民党を中心とする保守政権である。
自らの責任を棚に上げて、他者に責任を転嫁するのは、それこそ卑怯な振る舞いというべきである。
しかも教育基本法改悪の裏には「国家のためにいのちを捨てる愛国心」を育てる意図をみてとることができる。
安倍首相の著書『美しい国へ』は、そのことを明示していることを見逃すべきではない。
▽日本経済新聞―「国際心」が安全保障の礎になる
「政府は小泉純一郎政権以来、対内直接投資の倍増計画を打ち出し、投資誘致に旗を振っているが、05年の日本の対内直接投資残高は国内総生産比でやっと2.2%。欧州連合(EU)の33.5%、米国の13.0%、中国の14.3%などに比べて、けた違いに低い」
「冷戦後のグローバル経済は直接投資の誘致競争の時代といっていい。(中略)直接投資は成長の切り札である。資本だけでなく、新しい
製品、サービスや技術、経営ノウハウをもたらし、雇用機会を創出する。競争を通じて経営効率を高め、産業を高度化する。それは消費者の利益にも合致する。直接投資を受け入れる〈国際心〉が成長持続を確かにし、ひいては安全保障の礎になる」と。
グローバル経済、成長経済の賛美論あるいは必要論に終始している。登場してくる〈国際心〉は、新渡戸稲造(国際連盟事務次長をつとめ
、著書に『武士道』がある)の言葉で、世界に開かれた精神を指している。
ただグローバル経済賛美論には大きな疑問を覚える。
ノーベル賞経済学者のスティグリッツ(米クリントン政権の大統領経済諮問委員長、世界銀行の上級副総裁兼チーフエコノミストなどを歴
任)著『世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す』からグローバル経済批判論。
*1990〜2002年の間に世界総人口のうち不平等が拡大傾向にある国々に住む人の割合は59%、不平等が縮小傾向の国々に住む人はわずかに5%にとどまった。先進国の多くでも、金持ちがより金持ちになる一方、貧困層は現状維持さえむずかしいという状況だった。
*グローバル化によって物質的利益を重んじる価値観が突出し、環境や生命を大切にする価値観がないがしろにされている。
*誰もが経済的利益を享受できるというグローバル化擁護論の主張に反し、先進国と途上国の双方に数多くの敗者がいる証拠が山ほどある。
*グローバル化は経済政策や文化のアメリカ化を意味してはならないが、しばしば、あってはならないことが現実となり、途上国に遺恨を抱かせてきた。
以上からも分かるようにグローバル経済擁護論者すなわち市場経済賛美論者は、少し頭を冷やし、思い込みを離れて、現実を冷静に観察してはどうか。
▽宮日新聞―団塊の世代の定年退職と県土の再構築。
団塊の世代は日々の食べ物に苦労した戦後の復興期から物余りといわれる経済大国へ至るまで
、ひたすら“働きばち”を任じてきた。
何を得、何を失ったか「人生の記憶」を次世代に伝承する責任を負うべき。
食料自給率が4割ほどの非常時にもかかわらず、学校給食は手もつけられないまま大量の残飯に化ける。
「真の豊かさ」とは何なのか?「語り部」を期待する。
「河川に親しみ、生活の一部に取り込む」団塊の世代の記憶を工夫に生かしたい。
ヒートアイランド現象に苦しんでも、ドイツ・ハンブルクは
アルスター湖が「風の道」になり快適そのものと聞く。
団塊の世代の記憶は技術や知恵、知識と同じ次元で貴重である。
次世代が夢と希望を膨らませる県土再構築の機会であり、知事選候補者は足元をしっかり見詰めた公約を提示したい。
政治のミスを団塊の世代に解決を求めても所詮小手先になろう。
どのマスコミも緊張する「北」や空自の残るイラクの危険性に触れていない。
報道規制に準じたマスコミの命を売り渡してるとしか思えない。
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ただ、昨年の苦い経験は一度で良い。
十分なる時間日数をかけて議論することを再度提案したい。。
短絡的結論は、建設的でなく口汚く罵ることのみとなり、それなら初めからやめたが良い。
おなじ地球号たる宇宙船に同時代に乗り合わせた奇遇を大事にしたい。
先哲の政治外交努力でわれらは国家の庇護の下に今日の繁栄が保たれている。
世代間、異意見を乗り越え平和な社会を子々孫々に受けつがそうではないか。
好むと好まらずとにかかわらず他人事に引き込まれる場合でどうもならないことがある。
特に政治の世界はそうである、
「北」の核実験が再開されるという。
さらに、米国はイラクに2万人の増派を発表しよう。
日本国民の認識はサマワから、2006年(平成18)7月に撤収したはずで撤収は完了済みであろう。、
あれは陸上のみで、航空自衛隊は現在もイラクの地にあり輸送活動を続けている。
また、対テロ特措法にもとづきインド洋に派遣されている海上自衛隊の米軍後方支援活動は2001年から現在までずっと続いている。
マスコミの責任は重大である。
フセインノ死刑以来シーア派とスンニン派は憎悪を深め、共存してた宗教の拠点たる 相手側のモスクにさえ押しかけるようになるどうしよ
うもない混乱状態となっている。
この状態でさえ、自衛隊は反撃もできず駐留してるのである。
今のイラク特措法では相手に反撃することすら難しく
イラク戦争に正当性がない以上、一刻も早く撤退するのは当然である。
その中でも異論が出てきた。
「憲法9条を改正せず」に派遣延長を決めるのは自衛隊員の安全を考えず、政府は無責任であるという。。
自衛隊イラク派遣は日本国憲法を根幹から見直す・考える問題に発展し、イラク派遣は今後の安全保障といった日本の将来に関わる重大な派遣と位置づけられている。
先進国である日本が果たすべき国際貢献とは何なのか、
軍事力の行使以外の方法で国際貢献はできないのか、
アフガニスタンで復興支援してるがイラクでは、体験を生かした考慮の余地はないのか。
そもそも「軍事力の行使なし」という前提で考える国際貢献など急速な事態に即応できない、
などの国民全体を巻き込んだ論争を生んでいる。。
論争は、今後の日米関係、日本とイラクの関係、国際協調とは何かなどと幅広く必要となっている。
7月31日 航空自衛隊のC-130H輸送機がクウェートのアリ・アルサレム空軍基地からバグダッド国際空港へ多国籍軍の兵士等をはじめて輸送した。
2004年3月にクウェートを拠点にイラク南部への空輸活動を開始して以来、初の活動範囲の拡大である。
空自は是までに同型機を3機派遣しており、2004年3月3日から空輸活動を開始。
のべ約1900人の隊員が計348回に渡り、計約479トンの物資などを空輸してきた。
政府は、今までの空輸の中心は陸自隊員や「人道復興支援物資」としてきたが、陸自撤退後は、空自による米兵やその物資の輸送と言った多国籍軍への軍事支援である
「安全確保支援」に変更することを決定した。
そのために「基本計画」の変更を行う。
そこにフセイン死刑がイスラム宗教の国々まで飛び火しだした。
これらを、マスコミ統制のほほかぶりで国民に知らせようとはしないわが国。
「イラクにまだ自衛隊がいるの?」が率直なる国民の状況であろう。
現地では拡大解釈され戦争状態である。
命がかかってる以上そんなものであろう。
戦争にルールなどあるはずがない。
マスコミが国民に与える役割はその点大きいが機能していない。
社会の木鐸たる権力の監視役としての批判力、現況の行く末の不十分さを感じる
それは過去の歴史の過ちに学ぶ知恵がないからではないのか。
今こそ明治以来の歴史に学び、太平洋戦争にいたった経験から見出すべきだ。
戦後62年、幾多の戦争への加担を切り抜けてきた政治家たちのその智恵を拝借すべきである。
大手紙の社説の見出しをブログから引用することを許されたい。
東京新聞「年のはじめに考える 新しい人間中心主義」
朝日新聞「戦後ニッポンを侮るな 憲法60年の年明けに」
毎日新聞「〈世界一〉を増やそう 挑戦に必要な暮らしの安全」
読売新聞「タブーなき安全保障論議を 集団的自衛権『行使』を決断せよ」
産経新聞「凛とした日本人忘れまい 家族の絆の大切さ再認識を」
日本経済新聞「開放なくして成長なし(1) 懐深く志高いグローバル国家に」
宮崎日日新聞「団塊世代の記憶 豊かさ伝える役目を果たそう」
▽東京新聞―人間中心主義をどう生かすか
「〈戦後最長の景気拡大〉と〈企業空前の高収益〉がよそごとのような年明けです。この国の未来を取り戻さねばなりません。新しい人間中心主義によってです」
「行き過ぎの市場原理主義に否定されてしまった人間性が復活し、資本やカネでなく、新しいヒューマニズムが息づく社会―そんな選択であるべきです」
「悲願の改定教育基本法を成立させた安倍政権の次なる目標が改憲ですが、そこに盛り込まれている権力拘束規範から国民の行動拘束規範への転換こそ、勝ち組世襲集団の発想に思えるのです。国民のうちにある庶民感覚と感情のずれ。改憲に簡単にうなずけない理由のひとつです」と。
新しい人間中心主義、ヒューマニズムについて積極的かつ具体的な言及が足りない点に不満が残る。
▽朝日新聞―「軍事より経済」で成功した戦後日本
「教育基本法の改正を終え、次は憲法だ、そう意気込む自民党の改憲案で最も目立つのは、9条を変えて〈自衛軍〉をもつことだ。安倍首
相は任期中の実現を目指すといい、米国との集団的自衛権を認めようと意欲を見せる」
「軍事に極めて抑制的なことを〈普通ではない〉と嘆いたり、恥ずかしいと思ったりする必要はない。安倍首相は〈戦後レジームからの脱却〉を掲げるが、それは一周遅れの発想ではないか」
「〈軍事より経済〉で成功した戦後日本である。いま〈やっぱり日本も軍事だ〉となれば、世界にその風潮を助長してしまうだけだ。北朝鮮のような国にたいして〈日本を見ろ〉と言えることこそ、いま一番大事なことである」と。
どういう国のあり方を描くべきなのか。「地球貢献国家」宣言を提案している。
検討に値するテーマであるが、これを社説の見出しに掲げていないところをみると、ここに社説の主眼があるとはいえない。
ついでに問題提起をしてみた程度、という印象。
▽毎日新聞―「世界一」のリストを増やしていくことを提案
「日本に〈世界一〉はいくつあるだろう。(中略)〈男はつらいよ〉は世界一長い映画シリーズである。(中略)日本は世界一の長寿国である。年頭に当たって、私たちは、この世界一のリストを増やしていこうと、と提案する。世界的基準に照らして傑出したモノやサービス、世界に胸をはって誇れるような〈日本発の価値〉を増やそうという呼びかけだ」
「日本はさまざまな世界一を必要としている。なかでも世界一国民を大事にする政府である。世界一の政府を求めるならば、私たち自身が世界一啓発された有権者でなくてはならない」と。
「世界に胸を張って誇れる価値」としてまず挙げるべきは「平和憲法9条」(戦争放棄、非武装)であろう。
なぜこの戦後最大のテーマに正面から立ち向かって論じようとしないのか。
権力との仲間意識に縛られて、「権力批判」というジャーナリズムの原点を投げ捨てたのだろうか。
▽読売新聞―消費税増税の早期決断を促す
「日本はならずもの国家の核と共存することになるのか。この安全保障環境の激変にどう対処すべきか」
「現在の国際環境下で日本が核保有するという選択肢は、現実的ではない。核保有が選択肢にならないとすれば、現実的には米国の核の傘に依存するしかない。核の傘を機能させるには日米同盟関係の信頼性を揺るぎないものに維持する努力が要る。同盟の実効性、危機対応能力を強化するため、集団的自衛権を〈行使〉できるようにすることが肝要だ。政府がこれまでの憲法解釈を変更すればいいだけのことだ。安倍首相は、決断すべきである」
「安全保障態勢の整備は、国家としての最も基本的な存立要件の一つだが、それを支えるには、経済・財政基盤もしっかりしていなくてはならない。(中略)消費税増は不可避だ。与党は消費税論議は秋から開始というが、事実上、参院選を意識しての先送りだ。(中略)それではとても09年度の導入には間に合わない。より早い論議開始・導入の決断を急ぐべきである」と。
権力の側に立った社説である「憲法解釈を変更すればいいだけのこと」とは、乱暴にすぎるのではないか。
(注)集団的自衛権は、日本が軍事的侵攻を受けない場合でも、同盟相手国の米国の艦隊などが侵攻に見舞われれば、それを軍事的に支援するもので、従来の政府解釈では現行平和憲法の下では行使できないとされている。ところが集団自衛権行使を容認することになれば、先制攻撃論に基づく米国の世界規模での軍事力行使に日本は付き合うことになりかねない。
戦争体制を強化することは、戦時体制の米国の財政赤字増大をみるまでもなく、財政負担増に直結する。その財政負担増をまかなう手段が課税基盤が広く、大衆課税を意味する消費税増税である。
▽産経新聞―なぜ「無国籍化と個の肥大や暴走を招いた」か
「隣人を思いやり、苦悩を分かち合う共同体意識の再生も、いまほど求められている時代はない。家族は社会や国づくりの一番の基礎にある。家庭と共同体の再生こそ日本再生へのカギではないか」
「その意味で改正教育基本法の成立は価値ある重要な一歩といえる。(中略)教育基本法も憲法同様、人類の普遍的価値や個の尊重を強調するあまり、結果として無国籍化と個の肥大や暴走を招いた」と。
改正教育基本法の成立は価値があり、さらに憲法改正も必要だという主張らしいが、これはいささか飛躍してはいないか。なぜ「無国籍化と個の肥大や暴走を招いた」のか。それは平和憲法や改悪前の教育基本法の責任ではない
その責任は、多くの人が肯定してきた戦後の経済成長主義にある。
成長政策を支えた経済思想―1980年代以降、今日までの規制緩和・廃止、民営化、自由化さらに弱肉強食の競争激化を背景に私利追求路線を推進してきた自由市場原理主義も含めて―は、いのちや共生の軽視、利己主義を特色とした。これを推進したのがほかならぬ自民党を中心とする保守政権である。
自らの責任を棚に上げて、他者に責任を転嫁するのは、それこそ卑怯な振る舞いというべきである。
しかも教育基本法改悪の裏には「国家のためにいのちを捨てる愛国心」を育てる意図をみてとることができる。
安倍首相の著書『美しい国へ』は、そのことを明示していることを見逃すべきではない。
▽日本経済新聞―「国際心」が安全保障の礎になる
「政府は小泉純一郎政権以来、対内直接投資の倍増計画を打ち出し、投資誘致に旗を振っているが、05年の日本の対内直接投資残高は国内総生産比でやっと2.2%。欧州連合(EU)の33.5%、米国の13.0%、中国の14.3%などに比べて、けた違いに低い」
「冷戦後のグローバル経済は直接投資の誘致競争の時代といっていい。(中略)直接投資は成長の切り札である。資本だけでなく、新しい
製品、サービスや技術、経営ノウハウをもたらし、雇用機会を創出する。競争を通じて経営効率を高め、産業を高度化する。それは消費者の利益にも合致する。直接投資を受け入れる〈国際心〉が成長持続を確かにし、ひいては安全保障の礎になる」と。
グローバル経済、成長経済の賛美論あるいは必要論に終始している。登場してくる〈国際心〉は、新渡戸稲造(国際連盟事務次長をつとめ
、著書に『武士道』がある)の言葉で、世界に開かれた精神を指している。
ただグローバル経済賛美論には大きな疑問を覚える。
ノーベル賞経済学者のスティグリッツ(米クリントン政権の大統領経済諮問委員長、世界銀行の上級副総裁兼チーフエコノミストなどを歴
任)著『世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す』からグローバル経済批判論。
*1990〜2002年の間に世界総人口のうち不平等が拡大傾向にある国々に住む人の割合は59%、不平等が縮小傾向の国々に住む人はわずかに5%にとどまった。先進国の多くでも、金持ちがより金持ちになる一方、貧困層は現状維持さえむずかしいという状況だった。
*グローバル化によって物質的利益を重んじる価値観が突出し、環境や生命を大切にする価値観がないがしろにされている。
*誰もが経済的利益を享受できるというグローバル化擁護論の主張に反し、先進国と途上国の双方に数多くの敗者がいる証拠が山ほどある。
*グローバル化は経済政策や文化のアメリカ化を意味してはならないが、しばしば、あってはならないことが現実となり、途上国に遺恨を抱かせてきた。
以上からも分かるようにグローバル経済擁護論者すなわち市場経済賛美論者は、少し頭を冷やし、思い込みを離れて、現実を冷静に観察してはどうか。
▽宮日新聞―団塊の世代の定年退職と県土の再構築。
団塊の世代は日々の食べ物に苦労した戦後の復興期から物余りといわれる経済大国へ至るまで
、ひたすら“働きばち”を任じてきた。
何を得、何を失ったか「人生の記憶」を次世代に伝承する責任を負うべき。
食料自給率が4割ほどの非常時にもかかわらず、学校給食は手もつけられないまま大量の残飯に化ける。
「真の豊かさ」とは何なのか?「語り部」を期待する。
「河川に親しみ、生活の一部に取り込む」団塊の世代の記憶を工夫に生かしたい。
ヒートアイランド現象に苦しんでも、ドイツ・ハンブルクは
アルスター湖が「風の道」になり快適そのものと聞く。
団塊の世代の記憶は技術や知恵、知識と同じ次元で貴重である。
次世代が夢と希望を膨らませる県土再構築の機会であり、知事選候補者は足元をしっかり見詰めた公約を提示したい。
政治のミスを団塊の世代に解決を求めても所詮小手先になろう。
どのマスコミも緊張する「北」や空自の残るイラクの危険性に触れていない。
報道規制に準じたマスコミの命を売り渡してるとしか思えない。
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